No.3 それでも家が欲しい人のために

 

 当コラムのNo.1、2と続けて、住宅地価、持家をトピックとして、これからは各自の価値基準をもとに、シビアな判断が求められることを書いた。それでもなお、これから持家が欲しいという人のために、ここに一つの「朗報」をお知らせして、この3部作の終章としたい。(No.1No.2がまだの方は、先にそちらを読まれたい)

 地価の継続的な下落という状況の中で、確実にキャピタルロス(元本価値下落損失)を被らないで済む方法が、実は、たった一つだけある。

 それは、購入した物件は、もう絶対に手放さないということである。売却するから損失が出るのであって、持ち続ければ、キャピタルロスを潜在的に抱えること(含み損)にはなっても、それで現実に損を被ることはない。そうなれば、下がってくれた方が、固定資産税負担などの諸経費が減る(※注)分だけ、むしろ好ましいのだ。

 つまり、どうせ買うなら、一生もの、いや末代まで受け継ぐべき物件を買えということだ。

 その際に、クリアすべき条件が2つある。それは、

1.自分がそこに永住したいと心から思う場所、物件にすること

2.ローンで買うのならば、どんなことがあろうと絶対に払い続けられる範囲内の借金に留めること

この2つである。


 そこで、まず一つめ。

 大きな買い物をするのだから、自分の要求が全部叶えられないのは仕方ない、と考えるのも無理はないが、何かを妥協して購入すれば、あとできっと後悔する羽目になるのは目に見えている。

 例えば、「子育てのためには、緑多くゆったりした環境が良い」などという誰にも文句の付けられないような宣伝文句に騙されて、都心から急行で1時間、そこからバスで15分、さらに徒歩5分、などという物件を買ったとする。

 駅周辺には、確かにちょっとしたショッピングセンターはあるかもしれない。しかし、残業で帰宅が11時になる貴方も、ローン返済のため働くことを余儀なくされ何とか8時には帰り着くことのできる貴方の妻も、8時に閉店するそのショッピングセンターでゆっくり買い物をすることはできない。

 駅から自転車で帰る貴方の年頃の一人娘は、いつ暴漢に襲われるか分からないような暗い夜道を、ひたすら自宅目指してペダルをこがなくてはならない。

 たまの休みくらいは、家族でゆっくり映画を見たり、ショッピングに行きたいと思っても、最寄駅には映画館などなく、ショッピングセンターにも娘の欲しがるような服は置いてはいない。さりとて、正味2時間近くかかる都心まで行って、疲れて帰ってくる気にもならない。いきおい、父はゴロ寝、娘は男友達の車で遊園地や都心へ、母は平日にできない掃除で1日が過ぎる、という断絶状態が訪れる。

 そして日曜日が終わると、貴方はまた7時には家を出て、帰宅は11時、という一週間が始まる。

 なぜ、こんな思いまでして家を買わなきゃならなかったのか、と考えても後の祭。ローン残高が多すぎて、転売すらできない。

 こんな毎日を、豊かな人生と思う人が、どれだけいるだろうか。こんなことにならないように、自分の終の棲家(ついのすみか)は、自分にとって本当に豊かな人生が送れると思える場所を選ぶべきであろう。もちろん、世俗との関わりを絶って、山ごもりできる職業の方は、上に書いたような環境の方が、むしろいいかもしれないが。

 なお、この状況設定は、特に首都圏のような所で広めの土地付き一戸建を買おうとした場合であるから、他の地方では、もう少し状況はましかも知れない。しかし、関西や中京圏でも、都心から30分位で、なおかつ環境良好な戸建住宅地のような所がいくら出せば買えるのか、考えてみよう。仮に、もっと環境が悪くてもよい、家は狭くても我慢するというのなら、都心に近くて便利な所は確かにあるだろう。

 しかし、やはりそんな所に貴方が永住したい、ここに住めれば何の不満もないと思うだろうか。結局、中途半端に妥協しただけではないのか。本当は、もっと便利で、もっと環境の良い所が理想なのではないか。敷地の広さや、間取りはどうか。更に、分譲マンションを選んだ場合、貴方は本当にマンションに住みたかったのだろうか。理想は一戸建てだが、とにかく持家ということなら、マンションでも仕方ないと考えたのではないか。

 人生はそんなに甘いもんじゃないんだ、と悟ったような自己弁解をするのは貴方の勝手だが、その歪みは決して貴方を幸せにはしないだろう。

 

 続いて2つめ。

 貴方が会社員とするならば、いつまでも会社があると思ってはならない。たとえ会社が存続したとしても、いつまでもそこにいられると思ってはならない。更に、首尾よくそこで活躍できたとしても、収入は順調に伸びてゆくと思ってはならない。最近の企業の状況を見れば、それくらいの覚悟は必要だろう。

 そのような状況を前提として、それでもなお、順調に返済を続けられると思われる範囲内で借金はすべきである。

 貴方の今年の収入、来年の収入、2年後の収入・・・これを厳しい目で査定する。毎年数パーセントづつ伸びていくであろうなどという、楽観的に過ぎる予測をしてはならない。現状維持、もしくは減ってゆくこと、最悪の場合ゼロになることだって考えられる。更にその後、上手く転職を果たせるのか、それも不可能だった場合、貴方の腕一本で、どれだけ稼ぐことができるのか・・・。そういう保守的な予測をしたい。

 もちろん野心家であれば、貴方自身をデリバティブ(金融派生商品)に見立てて、例えば先物にして、どこかの会社に売りに行けばよい。「私の10年後を高く買ってください」と。そして、適当な収入の得られたところで、別の会社に転売すればよい。そういった技量も、貴方の収益獲得能力である。

 また、人間の場合、不動産における転売収入のようなものは、基本的にはない。投資期間(一生涯)が終了すれば、それで収入はゼロである(遺族年金は別)。画家や作家、音楽家など、ごく一部の有能な芸術家に限って、没後、遺族にもろもろの収入をもたらすが、それも本人の稼得収入である。つまり、手塚治虫とか岡本太郎などというのは、投資期間終了後にも収益をもたらす超優良物件なのだ。

 さて、次はその収入から控除すべき費用である。

 貴方と家族が生活するために必要な諸経費(食費、光熱費、教育費、交際費などなど)を毎年の収入からそれぞれ差し引く。もちろん、購入予定の家の維持費や修繕費、税金等もだ。保守主義の観点からは、娘が私立の大学に入ることを前提にしたほうがいいかもしれない。貴方自身が、せめて隔月でゴルフに行きたいのなら、その費用を計上してもいい(まあ、これは本来不要な経費だが)。そして、定期的に発生する修繕費(医療費)。これも計上の必要があろう。

 なお、大規模修繕費(致命的な病から奇跡的に復帰できるだけの多額の医療費)の計上は、資本的支出にあたるので、慎重に予測すべきか? それも、貴方と家族の健康状態によるだろう。

 このように毎年の収入から経費を差し引いた純収入と、毎年のローン返済額とを比較して、その差額が大きいほど良いのは言うまでもないだろう。

 ちなみに、(純収入)÷(ローンの元利返済額)は、鑑定の世界の収益還元法では、DCR(借入金返済余裕率:Debt Coverage Ratio)と呼ばれるものである。最低でも1.0以上、できるだけ大きい方が望ましい。

 また、貴方の生涯にわたる毎年の純収入を、貴方の人生のリスクを加味した割引率(利回り)で現在価値に割り戻せば、現在における「貴方自身の収益価格(=貴方の期待創出付加価値総額)」が算出される。これが、まさにDCF法(Discounted Cash Flow Method)だ。

 このようにして、結局、貴方が購入しようとしている物件の価格が、「貴方自身の収益価格」より安ければ、買いという判断ができる。両者が同額でも、その投資は可能だが、それは貴方自身の人生を、すべて家に捧げるということである。

 但し、逆のケース、即ち「貴方自身の収益価格」よりも、物件の価格のほうが高い場合、その投資はやめたほうがいい。貴方の人生を引き換えにしても払えないことは明白だからだ。

(もちろん、そんなことがないように、金を貸す側はちゃんと貴方を保険に入れて、いつ死んでも損をしないような手立ては打っている。あちらは堅気ではないんだから。)

 それでもなお貴方が、「貴方自身の収益価格」よりも高い家を買うというならば、その冒険家的根性は尊敬に値するが、それは、たとえて言えば、手持ち財産が5万円しかないのに、10万円借金して競馬に行くようなものだ。

 更に、考慮すべきはこれだけではない。

 貴方の収入がゼロになるという予想外の事態が現実のものとなったときでも、購入した家を人に貸して得られる賃貸料収入から諸経費を引いた純収入で、少なくともローンを払い続けられるようにしておかなくてはならない(=購入に際しての借入元利金合計が、購入物件の収益価格以下であること)。それさえできれば、しばらくの間は貯蓄で食い繋ぐとして、すぐさま職を探して、住むために借りた家の家賃を払って生活することくらいはできるだろう。

 

 以上の条件をすべてクリアしたならば、貴方は、余裕を持ってお目当ての物件を手に入れることができるであろう。無論、現時点における予測を前提としているから、予想もしなかった経済環境の変化はありうる。でもそれは、どんな投資にも付きもののリスクである。より保守的な投資者は、自身の収益価格をもっと辛く査定すればよい。

 さて、以上の計算を、今から本当にパソコンたたいてやる人はいないと思うが、これに近い検討は、当然必要であろう。でも、ここまで考えることのできる人は、初めから購入など考えないかもしれない。今の日本の都会では、住むのに何の不満もない環境の家なんて、普通の人にはとても買えないような仕組みになっている。そんな状況を作り上げている犯人は、他でもない貴方、そう、執拗かつ不合理な持家願望を持ち続けている貴方を含めた大多数の一般庶民なのだ。

 ところで、偉そうに言っているお前自身の住宅に対するビジョンはどうなんだ、という声が聞こえてきそうなので、私自身のことを言おう。

 私は、私自身が永住してもよいと考える物件の市場価格がとてつもなく高いのと、「私自身の収益価格」がとてつもなく安い(純収入も少なければ、リスクが高すぎて割引率も高いという二重苦による)ので、初めから購入ということは検討の俎上にすら乗らない。そもそも一ヶ所に定着することを嫌う私にとって、永住はマイナスの効用以外の何物でもなく、購入するなら初めから転売が前提だ。これだけの厳しい条件が揃えば、話は既に決まっているであろう。

 もし、港区南青山5丁目あたりの100坪くらいの土地と建物の市場価格が、「私自身の収益価格」の半値以下まで下がったら、購入するかもしれない。

 最後に、これをお読みになった鑑定士の方へ。これは喩え話なんだから、理論的におかしい所があっても、上げ足はとらないでください。

2000年5月11日

 

※注:そうは言っても、現在のところ、地価は下落しているのに固定資産税は上がっているではないか、という不満の声があるかもしれない。しかし、その裏には、この税金の今までの経緯など、複雑な問題があるので、言下に不当とまでは言えない。未だに実効税率が、本来法が予定している標準税率には遠く及ばない土地ばかりなのだから。ただ、今後も継続的に地価が下落するようだと、実効税率は上がってゆくので、地価が十分に下がりきれば、あとは税金も継続的に下げてゆかねばならなくなるはずだ。

<追記>No.2の最後で書名を挙げておいたので、もしかすると気づいた方もあるかも知れないが、このコラムの前半部分の喩え話や文章の調子は、宮脇檀氏のエッセイの模倣である。私が非常に気に入っているので、敢えて真似をした次第。


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