No.5 定期借家制度をめぐって

 

 「良質な賃貸住宅等の供給の促進に関する特別措置法」が施行された。これにより、いわゆる定期借家制度がスタートした。

 この法律に対しては、立法段階から賛否両論があり、施行された後も、未だに物議を醸している。

 従前の借家法、そして借地借家法では、借家契約を家主から解除する場合、「正当事由」を必要としている(借地借家法第28条)。これは、賃貸に供している物件を、今後家主が自らの住居として使う必要に迫られているなどの一定の事由があるのでなければ、家主側からの解約の申し入れが認められないという規定である。家主に酷な規定であるため、旧借家法の時代から、裁判所の判例でこの正当事由を緩和すべく、借主に対し立退料が提供された場合には、これを正当事由の補完事由として解約申し入れを認めるということが一般化し、現行借地借家法28条においてこの点が明文化された。そのため「借家人追い出しには多額の立退料」という慣行が出来あがっていった。

 定期借家制度推進論者は、この正当事由制度が借家の流通を妨げ、家賃を高止まらせ、借家人にとっても不利な状況を生み出していると指摘。一方、反対論者は、正当事由制度がなくなれば、家主の横暴がまかり通り、弱者が犠牲になる恐れがあると反発した。

 この対立は、大雑把に言って、推進派の多くが経済学者、反対派の多くが法律学者という構図である。もっとも、この法律が施行されても、従前の正当事由制度の下の借家が認められなくなるのではなく、新たに正当事由制度の適用のない定期借家が創設されたものである。(法律の内容や導入までの経緯等については、例えば、福井ほか編[2000](※引用文献1)等を参照されたい。)反対論者が主張するのは、新制度導入後、なし崩し的に正当事由借家が駆逐されてゆくのではないかという危惧である。

 思うに、経済学者は効率性を常に重んじ、社会全体の厚生を考えているのに対し、法律学者は、万人の権利の擁護を基本に据え、制度の陰に犠牲になる者を出してはならないと考えるのであろう。いずれも正当な着眼ではあるが、この対立は避けることの出来ない、そして恐らく、折り合いをつけることの難しい対立であろう。なぜなら〜誤解を恐れずに言えば〜法律学者には、木を見て森を見ない傾向があるのに対し、経済学者には、森を見て木を見ない傾向があると言えるので、一種の思考形態の違いにその原因があるようだからだ。

 ここで、筆者の立場を明らかにしておけば、私は、この制度に賛成である。

 なぜなら、法律というのは、何よりもまず社会全体の利益を考えて立法されるべきものであると考えるからだ。もちろん、それと共に、犠牲になった者の救済の手立ては、講じておく必要はある。また、その制度をめぐって利害が対立する場合、大切なのは、いずれの立場にも与することなく、まず全体としてあるべき形というものを最初に作り上げることではないか。従前の過度に借家人を保護する規定は、明らかに借家の流通を妨げる原因となっていたものであり、社会全体の効率性を阻害していたものと筆者は考えるので、それを改善することは、多くの経済学者の主張する通り、社会の厚生を高めることになるはずだ。

 ただ、この法律が施行された後に出版されている多数の解説書などで説明されているような、良いことづくめの制度だという論調に対しては、慎重でありたいと思う。あくまでも理想通りに事が運べば、良質な賃貸住宅の供給が増加するであろうことは間違いないが、どんな制度でも悪用しようとする族は存在するので、その犠牲になる弱者が発生する可能性は当然ある。法律学者が神経質に指摘するのは、その点だろう。

 どんな制度も、国民全員を満足させるということは不可能である。従って、弱者の救済措置は必ず準備しておかねばならない。しかし、その点ばかりを強調することは、例えば、「交通事故の犠牲者を出さないためには車は廃絶しなければならない」という論調と同じである。毎年一万人以上が犠牲になっているのにもかかわらず、未だに車がなくならないのは、それだけのコストを払ってでも、車から得られる利益のほうが社会全体としては大きいからに他ならない。確かに事故の犠牲者は減らさなくてはならないし、そのための方策は常に立てなければならない。ところが、そこに感情論を持ちこむことで社会全体の厚生が高まるというものではない。

 定期借家制度反対論者の法律学者の意見には、客観的なデータの裏付けのない、いわば感情論が見受けられるように思う。

 山崎[1999](※引用文献2)は、借地借家法の下での従前の借家制度に関する実証的分析を行った上で、定期借家制度反対論者である法律学者の側からは、納得のゆく根拠が示されていないとして、次のように喝破した。

 「借家の供給や家賃といった経済分析を使わなければ分析できない多くの問題点について、法律家や法学者の側から自分達の議論を支持するどのようなデータが、またどのような理論的な分析が提供されたのだろうか。」(山崎[1999]第1部・住宅市場の経済分析、第2章・借地借家法の経済分析1、p76)

 「これまでは、正当事由制度、あるいは借地借家法についての科学的な分析は主に経済学者によって提出されてきた。それに対して、民法の専門家からの正当な科学的手続きを経た反論はほとんど存在しない。このようなことについての挙証責任はむしろ定期借家権に反対する側にあるといえる。」(同書同部同章p79)

 私は、不謹慎ではあるが、これを読んだ時、「よくぞ言ってくれた」と思ったものだ。

 定期借家制度の導入によっても賃貸住宅の供給は増えない、あるいは家賃は下がらないと主張するのであれば、それを実証する経済分析が必要である。同書でも明らかにされているように、経済学者が共有する価値基準は、厚生経済学におけるパレートの価値基準である。定期借家制度の導入によって、借家市場のパレート非効率性が一層悪化するという実証的データを提示しない限り、導入は社会にとって望ましくないなどと主張することは出来ない。

 法律関係者が主張すべきは、制度の導入によってたとえ賃貸住宅の供給が増え、家賃が下がったとしても、必ず生ずる歪みによって犠牲となる弱者が発生するはずで、住宅という生活の本拠の問題であるだけに、弱者の犠牲を見過ごすわけにはゆかない、という点であろう。

 しかし、それこそが法律のなすべきケアなのであって、出来うる限り犠牲者の発生しない制度を作るべきである。それでももちろん、犠牲者は発生する。

 結局のところ、新制度の導入は、

1.社会全体の厚生を高めることを主眼とし、
2.犠牲者の発生を最小限に押さえる手立てをし、
3.発生してしまった犠牲者の救済措置についての厳格な規定を設けておく

という各点をクリアした上で行うべきであろう。

 今回の法律施行に際しては、

1.については、経済学者による様々な実証分析が存在し、

2.については、そもそも従前の正当事由借家がなくなるわけではなく、定期借家が新たな選択肢として加わったものであること、契約成立は書面によることを条件としており、期間満了にあたって賃貸人からの通知期間が6月必要とされること(同法第5条による借地借家法第38条の改正)などの配慮がなされている。

 ところが、3.については、この法律の守備範囲外であるため、司法の現場における救済が必要となる。賃貸人の違法行為はもちろんのこと、権利濫用についても正当に対処すべきであるが、賃借人の無知によって損害を蒙った場合には、その負担は賃借人に帰すべきである。社会的弱者が、法律や制度に関して無知であるために損害を蒙ることまでをも制度の責任と主張することは、不当である。それをサポートする仕組みを、法律の現場、あるいは不動産業の現場で作り上げることが望まれるのである。

2000年5月28日


※引用文献1:衆議院法制局・建設省住宅局監修、福井秀夫・久米良昭・阿部泰隆編集『実務注釈 定期借家法』信山社、2000年

※引用文献2:山崎福寿『土地と住宅市場の経済分析』東京大学出版会、1999年


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