No.8 鑑定とコンサルティングの狭間で
不良債権処理に絡む不動産の売買に始まり、証券化にまつわる問題や、最近では開発業者等の保有する棚卸資産の強制評価減の問題などで、何かとDCF法(収益還元法)が脚光を浴びている。
手法自体はとりたてて新しいものではないが、今まで日本に根付いていなかったということもあり、あたかも画期的な手法であるかのような言われ方までしている。
(この手法はただ単に収益還元法の基本に忠実に従っているだけであり、わざわざ騒ぎ立てるようなものでもない。その点については、当サイト内「小論文集」 中の拙稿「DCF法に対する誤解、無理解、過剰期待」を参照されたい)
DCF法は、元来特定の投資家のシナリオ(個別の期待利回り、賃料予測等)に基づいて分析するためのツールなのであるから、 そういった特定の投資家の立場に立ったコンサルティング業務を行う場合にこそ有用なものといえる。 もちろん正常価格を求めるための収益還元法にも使えるが、その時は、「一般的投資家」を想定した上での予測ということになるから、 一般的投資家の立場に立つためのデータ収集ができていることが大前提となる。 それをしないまま、つまり正常価格なのかコンサル価格なのか不透明なまま雰囲気だけで多用されることは、非常に危険なことであると思う。
しかも、DCF法の原理をよく理解しないまま、「新しいものだから、きっと高度な理論に違いない」などというイメージだけでありがたがっている風潮(悲しいことに業界内部でも!)は、 まさに滑稽ですらある。そもそもDCFというのは、収益還元法の基本に返って、今までの「ざっくり」を、「少し精緻」にしただけだというのに。
確かに、従来のように買主が収益価格をほとんど考慮しない状況では、「ざっくり」でも、あるいは極論すれば「いい加減」でも問題にはならなかった。 だれもそれに注目などしていなかったからだ(本当にいい加減にやっていたとしたら、無論それは許されることではない。それでも、今までならば、見逃されてきただろう)。 ところが、収益価格を指標として売買されるような状況になると、 買主は自らの立場において収益価格を試算するようになる。 それをサポートするような仕事へのニーズは、今後益々増えるだろう。それと同時に、より精緻な第三者的正常価格の鑑定へのニーズもまた依然として存在しつづけるに違いない。
筆者は、我々不動産鑑定士の役割について、実は以前から次のようなことを考えていた。
『弁護士は、完全に依頼者の立場に立って、その利益を擁護するのが仕事である。
税理士も(税務署寄りの人もいるが)、基本的には依頼者の利益を守ることで、商売をしている。
一方、鑑定士は、誰の立場にも偏らない「第三者的」な立場に立つ数少ない資格業だ。
しかし、取引に売手と買手が居る以上、売手側の立場や買手側の立場に立った仕事もあるはずだ。
つまり、売手側、買手側、客観的立場の3側面のニーズがあるのに、今はまだその1つしか担っていない。
(もちろん訴訟における原・被告それぞれの側からの評価というようなものはあるが、いずれも表向きは客観評価、基本的には正常価格であって、
いずれか一方の利益を擁護するような評価は、公正な評価とは認められない)
今後は、特定の依頼者の利益を代表する仕事も鑑定士はすべきではないか。』
第三者的立場に立った「鑑定」は当然なくならないし、依然として我々の存在意義の根幹をなすものであるが、 特定の依頼者の立場に立った「コンサル業務」の拡充こそが、鑑定士の今後のために必要であると思う。 まあ、このようなことは筆者がいまさら言うまでもなく、皆が既に身にしみていることなのであるが。
私が理想とするのは、そういった基本的な常識を皆が(業界外ばかりでなく、まずは我々業界内部から)しっかり理解した上で、 客観的評価とは別の「特定の依頼者の利益を代表するコンサル業務」にも積極的に関与してゆくという鑑定士の姿である (例えば投資、開発のアドバイスなどを含む、特定当事者にとっての最適戦略の提案、進言などであり、 従来のように、ただ客観的な最有効使用という単一のクライテリオンにのみ縛られるのではなく、もっと個々人の能力や意向などを仔細に反映したオーダーメイドのカウンセリング)。 もちろんそれは、第三者的な正常価格を求める鑑定とは、厳しく峻別されねばならない。鑑定士がやるのだから、きっと第三者的立場なんだろうなどという世間の雰囲気に、 さりげなく隠れるようなことをしてはならない。今自分はどちらの側に立っているのかという明確な認識、意思表示が不可欠である。 その辺りの厳格さが、今までのコンサル業務には欠けていたのではないだろうか(少なくとも筆者にはそのように見えた)。
ただ、このような立場は、言ってみれば、裁判官と弁護士を兼任するようなものであるから、より高い倫理観が求められることとなろう。 そのためにも、今こそ「万人が妥当と認める客観的評価とは何か」ということを初心に帰って考える必要が、我々にはあると思う。
それこそが基本的な責務であるし、「公正なジャッジ」というものの大切さ、恐ろしさを常に肝に銘ずることが、鑑定士の鑑定士たりうる第1歩なのだから。
専門職業に限ったことではないが、これからが本当に実力の試される時代となるであろう。そういった中で我々自身が基本に立ち返り、時代に流されず、 かといって依怙地にもならずに真摯に世の声に耳を傾けてゆくことが、 社会にとってなくてはならないポジションを占め続けるための基本的条件ではないだろうか。
またその程度の良心あるいはひたむきさがないようでは、専門家などと言う資格はないであろう。
2000年9月1日