No.10 首都機能移転問題に関する独断的意見



 初めにはっきりと断っておくが、当コラムには何ら学術的な側面はなく、また政治的意図などももちろんない。あくまでも筆者の偏向的意見を述べるものに過ぎない。

 今般、首都機能移転問題に関して、担当機関の長の立場にある方が、「あくまでも個人的見解」としながらも、反対の意見を表明し、物議を醸している。この件に関し、筆者の正直な感想を述べると、 よくぞ正論を言ってくれたという感じである。

 上記発言に対し、移転候補先からすぐさま抗議が申し入れられたそうだが、この反応を見ても、首都機能移転問題の根底には、いかに地方のエゴがあるかが見て取れると思う。

 首都機能を他に移す必要があるとの議論が生まれたのは、あくまでも現状の東京一極集中の弊害解消のためであって、つまり東京の問題なのである。それが、多極分散型国土が望ましいという、 現在の首都以外の地域の全国民の感情に訴えるような美しい言葉に翻訳され、首都移転こそが、日本の将来には必要なのだという論調にすり替えられている。

 そもそもなぜ、東京一極集中は進んだのか。筆者が考えるに、その理由は単純明快。人間も動物であり、動物というのは、通常、一箇所に群れたがるものだからだ。もう少し高等な言い方をすれば、 ヒトやモノやカネが分散していると非効率だからだ。そして、一旦蓄積ができてしまうと、そこに様々な需要が生まれ、チャンスが生まれる。何かコトを起こそうと思えば、 そのように人の集まっている所に行って始めるのが良い。

 ただ、あまりに蓄積が進むと、逆に非効率な点も発生する。そこで、解体あるいは移転という発想が出てくるわけだ。しかし、今までの蓄積をすべてご破算にして、新たに一から作り直そうというのは、 実に無駄が多く、また、成功するという保証などどこにもない。

 それにしても、この問題を声高に叫んでいるのは概して地方であり、それも移転先と目される地域の声が一番大きいというのが、なんとも滑稽だ。 最近は少しトーンダウンしたが、整備新幹線の問題と同じである。もちろん、交通が不便な地域について、それを解消する公共事業は重要であるし、推進すべきであると思う。 しかし、この手の問題は、常に地方の側からの利己的な主張(表面上は国家全体の問題のような言い方をする。そこがまた余計にいやらしいのだが。)ばかりが目立ち、 そしてそれを一生懸命引っ張っているのは、その地元出身の議員である。これを、「我田引新幹線」略して「我田引線」という。この場合の「田」とは、センセイ方の票田のことである。

 もちろん昨今東京の側から出ている首都機能移転反対論の中にも、東京のエゴが見え隠れする。移転の推進は、江戸・東京の歴史に対する冒とくだ、などといった都知事の発言など、愚の骨頂であろう (そもそも未来のためにベストの選択をする上で、歴史的蓄積の有無など関係ない。それが今後も物理的に必要とされるならば、残されてゆくし、不要なものは捨て去られるだけだ)。

 このように、この日本は、実に利己的な人間の集まりであるかのように見える。

 もうそろそろそんな利己的意見のぶつけ合いは、やめたほうがいいし、もっと広い視野からものを見るべきだと思う。

 もし、首都が移転したとすると、その後の展開としては、次のような2つのシナリオが考えられる。

 1つは、国会等が新首都に移っても、経済の中心は相変わらず東京であり、結局国民の活動の中心は東京のままとなり、何ら東京問題の解消にはつながらず、政府機関が遠くに離れた分、 新たな非効率が発生しただけという顛末。

 もう1つは、政府機関とともに経済活動の中心も新首都に移り、東京は閑散となる。しかし、新首都にはその全部を受け入れる機能そしてキャパシティがなく、早晩パンクしてしまい、 新たな首都一極集中問題がいち早く、しかも今よりも深刻な形となって発現する。

 冷静に考えてみればすぐわかることだが、人間は所詮一箇所に群れたがるものなのだから、この日本の国土の中で、集まる場所として最も適しているのは、国内最大の平坦地である関東平野だ。 つまり、現在の首都の位置が、最良なのである。これが、もっと狭い平野や、ましてや山間部の盆地に集まるとなると、短時間で飽和するのは目に見えている。 この単純な事実になぜ気づかないのか。

 最も効率の良いと思われる方法は、現在の東京の集積をそのまま活用し、新首都建設に充てる予定のお金を東京に投入する。そして、一極集中を解消したいのであれば、 東京を広げればいいのである。つまり、遷都ではなく、拡都である。現在東京近郊に限定されている業務核都市を、例えば東京-大阪間に配置し、高速交通で結べばいいのである。 そこまでしなくとも、現在の首都圏内部にも、まだ土地はたくさん余っている。それを有効活用したほうが、別地域に全く新たに首都を建設するより安上がりだし、失敗する確率も絶対的に小さい。 例えば、○○省は宇都宮、その研究機関は甲府、のようにし、首都圏環状新幹線などで結んでしまう。まあ、そこまで広げなくとも大丈夫だろうが。

 東京ばかり発展して、他の地方は置き去りにされてもいいのか、といった反論がありそうだが、そのような意見こそが、利己主義の表明であると思う。 やっかみを持つくらいならば、皆東京に出ればいいのである。地元を脱出して東京に定着する若者が多いという状況をみれば、なぜ皆が東京に集まりたがるのかがわかるだろう。 逆に、東京にはない魅力が地方にあれば、放っておいても人は地方に分散する。そもそも地方には、東京発信の情報を凌駕する独自の文化がないのだ。 まずは、魅力ある文化の育成ということを考えたほうがいい(その意味で望みがあるのは、独自の土壌を持つ関西くらいか)。まるでどこかの国の貿易赤字解消問題と酷似しているが、問題を根本から解決するために本当に必要なことは、 自国民にとって魅力ある商品を提供する国内産業を育成することなのであり、それを怠り、相手に対して輸出を控えろという圧力を掛けることは、単にひがみ根性の披瀝にしか見えない。

 自由主義、市場経済の行き着く先は、効率優先、優勝劣敗であり、それを政策的に是正しようとしても不可能だし、結局なるようになってゆくしかないだろう。それが本当に良いことなのかどうかは別問題として。

 だから、「今まで東京ばかり良い思いをしてきたのだから、そろそろこっちにもよこせ」とか、「東京が没落すればイイ気味だ」などという幼稚園生のような感情が腹の中にあるのにもかかわらず、 口先ではきれい事を並べてばかりいるという矛盾した態度からもういい加減に脱却して、 本当に無駄のない、理想的な首都問題解決策を探るべきである。

 なお、情報化社会が進めば、地域間格差が解消されるとの見解があるようだが、筆者は、むしろ格差は拡大するとみている。高度経済成長により、新幹線や高速道路網が整備されて、一体何が起こったか。 それは、各地方からみて、より近くなった中央へヒト、モノ、カネが流れたのである。ITの進展により、情報の時間差は確かになくなるが、そうなればなるほど、 人間と人間がひざを詰めて話をすることの重要性が増すであろう。つまり、丸の内(今後、別の場所に移るかもしれないが)の優位性が余計に強まるのである。 今後は、従来のような顔を突き合わした商談や、対面販売がなくなるなどという極端な意見も一部にはあるが、そのようなことを言う人は、本当の現場経験がない人であろう。

 従って、「情報化社会になれば、実質的な格差が解消されるから、 見かけ上は中央一極集中でも大丈夫」という地方への慰めは、残念ながら詭弁である。網の目を張り巡らせば張り巡らせるほど、すべてが中央に集まってしまう。そしてそれは、中央の策略などではもちろんなく、 我々人間には元来そういった習性があるのだと理解すべきことだろう。

 最後にもう一度念押ししておくが、ここで述べたことはあくまでも筆者の偏った意見であり、この見方が正しいとか、この通りに事が運ぶべきだなどと主張するつもりはさらさらない。 ただ、皆もっと本音を素直に言いましょうということだ。見え透いた美辞麗句を並べるのは、むしろみっともないだけだ。「東京ばかりずるい、妬ましい、許せない」と、思っていることを口に出して言えばいいではないか。


2000年9月15日


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