No.12 いまだに横行するDCF法の礼賛
近時不動産の鑑定評価において用いられることの多くなったDCF法(収益還元法のひとつ)をめぐっては、あいかわらずこれを礼賛する声が多い。 DCF法は、直接還元法など「旧来の収益還元法」と比べて高度であるとか、永久還元による収益還元法は精緻でないといった偏向的な意見が良い例である。 これは、当コーナーの8「鑑定とコンサルティングの狭間で」においても述べたところである。
また、当サイト内で更に詳しく検証しているように(小論文集・2「DCF法に対する誤解、無理解、過剰期待」参照)、 DCF法は確かに価格算定の詳細過程を白日の下に晒す透明性の高い手法ではあるものの、年々のキャッシュフロー予測が的確でない、あるいは予測困難な場合や、 採用する割引率等のデータ収集が的確に行い得ない場合には、 表面上精緻そうな顔をした"まやかし"となりかねない危険をはらんでいる。その辺りを警告せず、ただ直接還元法などよりも精密であるといった喧伝をすることは、 世間に誤解を与えるのみであろう。
近時刊行された「DCF法による投資不動産の価格査定/岡崎一浩著、清文社、2000年」(以下、岡崎[2000]と略す)においても、DCF法への楽観的にすぎる信頼と、 直接還元法等に対する不当な非難が展開されている。本稿では、同書の問題点につき、指摘してゆく。
1.岡崎[2000]P5,Line3
「不動産鑑定士の方々は、既に収益還元法を不動産鑑定の手法として採用しています。その収益還元法では、DCF法の簡易版である永久還元法によっているので、
DCF法に比べてかなり雑な評価法であるといえましょう。」
→永久還元法が、DCF法(有期還元)の簡易版であるという言い方は、適切ではない。確かに、年々のキャッシュフローを仔細に表現する代わりに、
標準化した純収益を総合還元利回りで還元するというやり方自体は、簡易には見える。しかし、キャッシュフローに一定の趨勢が予測される場合には、
直接還元式を用いても同じ結果を得ることができ、求められる価格の精度は、いずれの手法を使おうとも、将来予測の的確さ如何にかかっていることに変わりはない。
しかも著者のこの表現は、鑑定士がDCFを全く使っていないかのような誤解を与えるものであり、悪意が感じられる。
更に、鑑定士が行う評価は、有限期間の投資物件だけではなく、純収益が永続する土地を長期保有することを前提とした鑑定もあるのだから、
いつもDCFだけで評価できるわけではないのである。この事実も無視されている。
2.同書P5,Line6以降「地価公示のための収益還元法」中、P9,Line12〜15
「国の制度となると、ある種の一律化は避けられず、そのための欠点も目立ちます。欠点をあげてみましょう。
@建物が古くなればなるほどテナントの質が低下するにもかかわらず、土地と同じ賃料成長率(g)を見込んでいる。」
→これは、地価公示における土地残余法で、純収益の変動率をgとして一定率成長を前提としていることに対する批判である。
実はこの手の意見は、鑑定士の業界内部にもあり、収益還元法の基本を理解していない的外れな批判であって、反論するのも馬鹿馬鹿しいのであるが、
ひとことで言えば、永久と有期の別を理解していないということである。建物一世代についてみれば、当然のごとく、老朽化に伴い収益獲得力は低下するから、
一定時期を超えると純収益は逓減する。土地残余法で扱っている永久還元は、そのような建物のサイクルを無限に繰り返すことを前提にしているから、
永久の未来まで見据えた純収益の変化は、毎世代の建物老朽化に伴う逓減期を当然内包して、なお全体としては経済成長に見合った成長率を実現するはずである。
例えば近年採用しているg=0.5%程度という数値は、過去長年にわたるわが国の経済成長率に比較しても極めて保守的な予測であり、
またこの数値を採用したからといって、建物が老朽化しようが常にgの賃料上昇を見込んでいるのだということにはならない。
当然、建物の各ライフサイクル中には、純収益の逓増期、逓減期の双方があり、それを均すとgになると言っているのに過ぎないのだ。
3.同書P9,Line16〜P10,Line1
「A不動産業界全体としては、賃料は所定の成長率(g)を示すかもしれないが、個々の物件毎にみれば、賃料が下落する可能性の方が高いとみられる。
しかし、国土庁方式では、この可能性を考慮に入れていないから、建物価格が相対的に高くなり、土地価格がむしろ低くなる結果を生み出す。」
→これもミクロの議論とマクロの議論の混同に過ぎない。投資用不動産の評価などで個々に実態を短期的に見れば、確かに物件によっては賃料低下を見込むべき場合は多い。
しかし、地価公示で求めているのは最有効使用を前提とした土地の価格であり、もし地域ごと、土地ごとにg=0とかg<0を採用するならば、
その地域、土地は長期トレンドとして純収益が横ばい、あるいは低落すると予測することになり、未来に向かってもう発展は望めないと言っていることになる。
そのような土地も現実にないとは言えないが、日本経済が今後、わずかながらも成長してゆくとすれば、その率より低いgを予測した土地は、国全体の発展から置いてきぼりをくらうのだと言っていることになる。
なお、g>0を採用したからといって、建物価格(建物帰属純収益)だけが高く算出されるということはない。著者は本当に土地残余法の算式の構造を理解しているのだろうか?
4.同書P10,Line2〜5
「B(社)日本不動産鑑定協会が示す還元率(r-g)は3.5%〜5.0%であるが、このような低い還元率で評価すれば、不動産価格は高目に算出されてしまう。
還元率は不動産市場の利回りとある程度の整合性を持つ必要があるが、実際の利回りは低くても6.5%ないと買い手がつかない。」
→収益物件の市場における取引利回りとすれば、このような率では低いのは当然であるが、地価公示で扱っているのは、永続する純収益に対する還元率である。
短期保有の投資物件に対する、しかも近時の景気状況を前提とした静態的な利回りと、未来永劫まで考慮に入れるべき長期永続純収益に対する利回りとは全く異なるものである。
この点を理解しているのだろうか?
「実際の利回りは低くても6.5%ないと買い手がつかない」などと、不動産取引の現場を見知ったような書き方をしているが、現在の経済状況における短期静態的な取引利回りから
類推される割引率としては確かにそういうことは言えるが、それと長期安定的なキャッシュフローに対する割引率との関係性を本当に理解しての記述であろうか。
そもそも現場で取り沙汰されることの多い粗利回り等のデータから、DCF法に適用すべき割引率(イールド)を導出することは、かなり煩雑なことである。
5.同書P10,Line18〜19
「本書では、最も単純な収益還元法の一種である永久還元法ではなく、これを超えた方法、つまりDCF法を紹介しています。」
→DCF法が永久還元法を超えた手法であるという言い方は、まったく不当である。むしろDCF法が収益還元法の一般式であり、原点であって、コンピュータが普及する以前の時代に
DCFの煩雑な計算の代わりに同じ結果が得られる方法として重宝されていたのが、永久還元法などの直接還元式であるといえる。
年々の純収益の割引現在価値の総計で資産価格を評価するという考え方そのものが収益還元法の基本なのであって、その年々の純収益を細かく予測して割引計算を行ってこそ意味のある手法であることは初めから自明のことである。
それをコンピュータ等の道具なしでは著しく手間がかかってしまうのと、そもそもDCFでは永続する純収益には対応できないからこそ、資本還元率で割り算するという方法が用いられてきたのである。
6.同書P21,Line2〜6
「不動産鑑定士が従来から行ってきた不動産鑑定では、確かに収益還元法も価格算定に利用されてはきていましたが、ウエイトは原価法(取替原価法)や比較法に置かれ、
収益還元法は従とされる場合がほとんどでした。その収益還元法といっても、家賃の上昇を一定率で永遠に見込んだ直接還元法(永久還元法)を採用しており、
還元率も一律に3.5%から5%といった低率で、現実離れをしたものといえます。」
→この表現では、鑑定士が意図的に収益価格を低く見て、不当な評価をしてきたかのような誤解を与える。旧来、収益価格が鑑定評価額決定において主役たりえなかったのは、
市場における売買価格、つまり一般市場人の不動産価格に対する見方が、収益性を無視していたためである。近年のいわゆる土地神話の崩壊によって、
ようやく日本でも収益性の観点から不動産を見るようになったので、収益還元法が有用な手法となったのである。この点の原因と結果の取り違えは、同書のみならず、
経済雑誌など様々なところで見受けられるので、注意が必要である。
また、「家賃の上昇を一定率で永遠に見込んだ…」以降の部分は、上記2.及び4.で述べたとおり、永久と有期の混同にすぎない幼稚な誤りである。
7.同書P23,Line15〜P24,Line4
「それなりに私たちの身近でもデータは収集できるものです。粗利回りの実態については、下掲の『週刊住宅情報』(リクルート)の抜粋をご覧ください。[中略]
大まかに見て、売上高費用率は不動産賃貸業の場合は20%と考えられますから、たとえばグロスで年利回り7.3%や9.8%であれば、ネットでは5.9%、7.9%と考えられます。」
→今まで直接還元法は簡易だ、雑だと難癖をつけてきたのにも関わらず、著者自身、こんな粗雑な議論をしている。
現実の投資物件の粗利回りデータからDCF法に用いる割引率を導出するためには、物件ごとの土地建物価格比率、建物の残存耐用年数などを知る必要があり、
その上で、一般的投資家が期待する自己資本期待利回り、将来にわたる長期金利の予測値などを設定あるいは統計的手法等によって推定しなければならない。
取引利回り事例がすべて新築物件であるならばまだしも、玉石混交の事例について一律に経費率20%程度などと断ずるのは、それこそドンブリ勘定である。
以上のように、岡崎[2000]においては、著者がDCF法とそれ以外の手法との構造的な異同を正確に理解していないか、 あるいは意図的に鑑定評価をおとしめるような作為的な表現が多く見受けられる。著者は公認会計士というから、DCF法や地価公示における土地残余法程度の複利計算式の構造についての理解が 不十分ということはむしろ考えられないので、何かの意図を感じてしまう。 同書がむしろ鑑定士以外の鑑定評価を正確に理解していない人にもわかりやすく、という趣旨で出版されていることを考えると、不当な誤解を与えかねないものである。
著者のいう通り、「不動産の鑑定評価は不動産鑑定士が行うことになっていますが、[中略]業としてでなければ誰でも不動産の鑑定評価ができることは当然(同書P3,Line15〜17)」と言えるから、 不動産に投資をしようとする人々が、あまねく正しいDCF法によって的確な投資を実行できるようになることはむしろ望ましい。しかし、そのためには、手法に対する正確な理解と、 必要なデータの整備などが欠かせない。現状では、特にデータ整備という点だけを取ってみても、一般人が精度の高いDCF法を行うことは極めて難しいと言わざるを得ない。
小手先のテクニックだけを教えて、高度なことをやっているような気にさせるのは、最も危険なことである。 一般に馴染みの薄い手法を流布させようとする場合に、最も注意しなければならない点である。
そもそもDCF法ごときに今ごろ大騒ぎしていること自体、日本が遅れていることの悲しい証拠ではあるが。
2000年12月6日