No.14 不動産鑑定にもパラダイム転換が必要



 不動産鑑定評価基準の改正作業が進められている折から正常価格、特定価格などの価格概念を整理する必要があるとの意見が 自ずと業界内部でも交わされている。特に、収益還元法の精緻化(※1)が進められるのと歩調を合わせて、正常価格とは一体何か、 という点を、改めて考えることは徒労ではなかろう。

 世はまさに収益、なかんずくキャッシュフロー重視という風潮全盛であり、不動産鑑定では今まで収益還元法がなおざりにされてきた といったバッシングが後を絶たない(※2)。そこで業界でも当然の如くその世論に応えるべく収益重視という姿勢を前面に出すようになってきている。 それ自体は決して間違ったことではないが、DCF法に代表される収益還元法は、結局のところ伝統的経済学におけるファンダメンタル分析の一種なのであって、 変化の激しい時代における動態的な分析に必ずしも適したものではないということはほとんど理解されていないのも事実である。

 現行不動産鑑定評価基準は、その総論第7において、収益還元法について、「市場における土地の取引価格の上昇が著しいときは、その価格と 収益価格との乖離が増大するものであるので、先走りがちな取引価格に対する有力な験証手段として、この手法が活用されるべきである。」 (不動産鑑定評価基準・総論第7、一、(四)、1)と述べており、制定された当時の時代背景を写しているとは言うものの、 この手法によって求められた価格が対象不動産の効用に裏打ちされた、いわば本来あるべき価格であると主張しているかのようである。

 正常価格をめぐって、Sollen(あるべき価格)ではなくSein(ありのままの価格)という立場を取りつつ、現在収益還元法を信奉している方々は、 この不突合にどう折り合いをつけているのであろうか。もし、ありのままを貫くのなら、バブル現象もすべて容認しなければならないし、 反対に、投機的取引は厳しく排除し、利用価値に裏打ちされた収益価格を信奉するのなら、Sollen論者でなければならない(※3)。そもそも収益価格が保守的なものであるという まことしやかな幻想をこそ打ち砕かなければ、この不毛な議論は終結しないようにも思える。

 ある種、絵に書いた餅のような正常価格概念ではなく、現実に適合的な価格を求めるためには、およそ次の2つのことが必要である。
 1.理想論ではなく、市場の現実をシビアに反映した評価手法を確立すること。
 2.その前に、情報のディスクローズを通じて、不動産市場自体をオープンなものにすること。この2つである。

 後藤・今野[1999](※4)が指摘するように、「収益還元公式は、流動性のない市場において、特定の投資家の立場から 土地価格を評価したもので、他の投資家との競合や、需要と供給のバランスという要因を全く捨象したモデル」である。従って、 この手法で求められる価格は、あくまでも特定の条件下における投資採算価格なのであって、 ゴーイングレートやターミナルレート等の数値を市場から拾ってきて、いかにDCFの精度を高めようとしても、それは一種の詭弁であり、 その精緻化の行き着く先は、結局市場における特定の声を反映した取引実態価格ということになる。 つまり、収益還元法も、取引事例比較法も、共に精度を高めれば、本来の理想論どおり両者は一致するはずである。 それならば、なにも複数手法を併用する必要はないではないかという結論に至る。

 後藤・今野[1999]は、収益還元法とは反対に流動性のある市場において有効なモデルとして、CAPM(資本資産価格モデル)をベースにした均衡価格モデルを提示している。 即ち、土地も株式等と同様流動性のある資産とした場合、他の投資対象との間の裁定取引、他の投資家との競争を通じて価格は決定されるはずだという理屈に基づく。

 この考え方は、まさに市場をありのままダイナミックに捉えるものであり、Sein論に適合的である。但し、CAPMの伝統に従って、 いくつもの不自然な過程を置く理論であるため、直ちに十分な説明力を持つものとは言いがたいが、市場の声を聞く理論として興味深い。

 不動産鑑定において従来から用いられている取引事例比較法も、地域要因や個別的要因の比較における評点付けを、鑑定士のいわば経験値で行っているが、 これなどは評価者の主観の混入するいわば不公正なやり方であるともいえる。もっとも、計算機よりも人間の経験、熟練が優る部分は多々ある (と言われてきた)から、決してこれが精度の低い手法というわけではない。ただ、完全に人間の判断を捨象して、市場の現象を冷徹に捉えることをもって 客観的手法と位置付けるのなら、ヘドニック・アプローチなどの多変量解析による手法のほうが、説得性はある。(※5)

 このように見てくると、不動産評価においては、結局、特定の投資家の声を代弁するのか、市場の声の総体を完全に反映させるのか の2つの立場があり、この2つは厳しく峻別されねばならないことが分かる。今までは、この2つをなんとなく重ね合わせながら、 日本人お得意の玉虫色価格概念でお茶を濁してきた嫌いがある。が、もうそろそろ白と黒をはっきりさせ、それぞれの場面に求められる価格を、 それぞれ別概念として提示する必要があると筆者は考える。即ち、特定の投資家の特定の条件に即応した投資採算価格(需要者価格)と、 市場における競争を前提とした均衡価格とである(もちろん売り手の側の特定の条件に即応した供給者価格というものも考えられるが、 これは前者の一種と捉えられる)。前者は、いわゆるコンサルタント価格であり、後者は、客観的な市場価格である。

 また、別の見方をすれば、現在進められている収益還元法の精緻化(市場のデータを反映した、より客観的な収益価格)によって行き着く先は、 伝統的経済学に則った長期均衡価格であり、一方、財の流動性を前提とした市場アプローチで求められるのは短期均衡価格である。

 以上のように考えれば、SeinかSollenかではなく、SeinとSollenは別物であり、しかし両方とも世の中から求められているのだということが、理解されるであろう。 そしてその両方を我々鑑定士は大切にしてゆかねばならないと、筆者は思っている。


※1:精緻化という言葉を、筆者は好まない。今までが精緻でなかったと言うに等しいからである。当サイトで繰り返し述べているように、 市場が精緻な収益計算によって取引を行っていなかっただけなのである。

※2:最近では、朝日新聞2000年12月20日付「論壇」における福井康子氏による「適正な不動産評価システムを」と題する投稿がある。

※3:収益還元法が扱う収益(効用)には、当然のことながら、将来における転売利益の現在価値も含むから、バブル期のような急激な地価高騰期には、 保有期間中のキャッシュフローがたとえゼロでも、転売によって大きな利益が得られれば合理的な投資であり、これを適正に反映させて 正しく収益価格を算出すれば、比準価格に一致するはずである。転売利益は収益に算入してはならないというのは、倫理的には意味を成そうが、 手法の理論的には誤っている。即ち、鑑定評価基準のいうように、先走りがちな取引価格の有力な験証手段となるのは、 そのような投機や短期投資行動は本来の行動ではないとして切捨て、転売を前提としない長期保有価値として収益価格を求めた場合に限る。「基準」は、 少なくとも投機的取引は排除すべきとの立場を取っているため一応論理矛盾は来たさないが、それでは投機的取引ばかりが横行している地域においては そもそも評価ができないことになってしまう。そこでは、Sollenなるものは、観念的には想定できても、それが一体何なのか理論的には説明できない。

※4:後藤順哉・今野浩「地価決定における『期待』と『流動性』の役割」:今野浩編『ジャフィー・ジャーナル[1999]金融技術とリスク管理の展開』東洋経済新報社・1999年所収

※5:この話を突き詰めると、鑑定士のような専門職は不要ということになりそうであるが、統計的手法を駆使する場合でも、最有効使用という観点からの考察は重要であるし、 回帰式の推定にあたり適切な説明変数の選択には、地域分析及び個別分析の知識は不可欠である。ただ、これら従来からの鑑定の専門知識は最低限の必要条件であって、十分条件ではない。 知識や経験があっても、達観的判断だけが専門技術と勘違いしているようでは、今後、世間一般に対して説得性のある価格を提示することは困難となるだろう。 求められるのは、理論面で高度な専門性を持ちつつ、客観的な説明力をもつ手法の駆使できるエンジニアであろう。

2001年2月6日