No.15 身近なところに金融工学



 第2次金融工学ブームであるらしい。

 金融工学というと、慣れない方にとってはとかく難解なイメージが付きまとうかも知れないが、例えばオプション理論も、我々の日常生活に置き換えて考えると、 非常に理解しやすくなる。


○オプション:金融派生商品(デリバティブ)の一種で、原資産を売ったり買ったりする権利。
○原資産:株式、債券等デリバティブの対象となっている金融資産。
○コールオプション:原資産を買う権利。
○プットオプション:原資産を売る権利。
○アメリカンオプション:権利行使期間内ならいつでも権利行使できるタイプのオプション。
○ヨーロピアンオプション:権利消滅日にのみ権利行使できるタイプのオプション。
 例えば、ヨーロピアン・コールオプションといえば、権利消滅日にのみ原資産を買うことのできる権利であり、更に売買の立場に応じて、 ショート(売り)ポジション、ロング(買い)ポジションに分けられる。
○オプション・プレミアム:オプションを入手するために必要な費用。オプション料のこと。
○行使価格:原資産をいくらで売買するか予め定めた価格。

 我々一人一人の人生を様々な投資機会の連続であると考えると、新たな意思決定にあたっては、その都度保有しているオプションを行使していると考えることができる。

 最近は学生のうちから国家試験を受ける人が増えてきたが、現役の学生のうちに国家資格を取得することは、将来権利行使できるオプションを保有することだと言える。 卒業と同時にそのオプションを行使して、いきなりその利益の実現を図ることができる。また、資格を保有しながら、とりあえず一般企業に就職することもできるが、 それは、会社員の地位という資産を保有しながら、同時にいつでも資格を生かして独立開業する道も選択できるというコールオプション を保持していることになる(より正確には、独立開業というオプションを行使するためには、会社員の地位という資産を手放さざるを得ないので、エクスチェンジ・オプション(交換オプション)というべきか)。

 このオプションは、いつでも好きな時に行使できるので、アメリカンタイプのオプションであり、しかも行使期限のない極めて柔軟性に富むオプションである。 オプション料に相当するのは、資格取得費用である。 資格取得のために学校に通ったり、教材を購入したりするのにかかる費用がそれであり、勉強に時間を費やすために、もしそれがなければ得られたであろう収入(逸失利益)も 費用の一部と考えられる。将来オプションを行使したときに得られるであろう収益が大きければ大きいほど、オプションの価値は高くなるわけで、 開業して大きな収益が望めるような有望資格になればなるほど、そのオプション・プレミアム(資格取得にかかる費用、労力)は高くなるのである。

 独立開業に要する費用が、オプションの行使価格にあたる。この行使価格と、開業後に得られる収益とを比較しながら、実際にオプションを行使するタイミングを見計らうことになるが、 このオプションを行使するためには、一方で会社員の地位という資産を手放さなければならない。その売却収入は、退職金である。 これらを総合すると、オプションを行使することによってもたらされる収入は、退職金と開業後の期待収入であり、支出は開業に要する費用と会社を辞めることによって得られなくなる給与である。 この差し引き計算の結果が正(プラス)となるのであれば、オプションは行使すべきである。仮に現在、この計算結果が負であったとしても、このオプションは生涯保有できるため、 適切な行使機会が訪れるまで、現在の会社員の地位という資産を手放さなければ良いのである。

 人生においては、このようなオプションをできるだけ多く保有することが、選択肢を広げ、安定収益を確保することになる。それは、資格の取得ばかりでなく、特殊技能の修得などでもよい。 後戻りの難しい道を選択することは、その選択肢における期待収益(成功した場合に実現する収益に成功確率を掛けたもの)がよほど大きくない限りは、危険な投資であると言える。つまり、特殊技能の修得といっても、大工や美容師、料理人などを目指すことは、 比較的リスクの小さい選択であるかもしれないが、プロ野球選手や歌手を目指すことは、リスクの高い選択であろう。それに比べれば、国家資格を得て独立開業することは、 必ずしも危険な選択ではなく、しかも不可逆的な投資でもない。いつでも会社員という地位に戻ることは可能であり、しかもまたいつでも独立できるというオプションが復活する。但し、一旦払った行使価格(開業費用)は、 取り戻すことのできないサンクコスト(埋没費用)となる。

 オプション評価理論に従えば、原資産の収益率のボラティリティ(オプションを行使することによって得られる資産の収益率のばらつき)が大きくなるとオプションの価値は高まるので、 現在のようにどのような職業に就いても安定しているとは言えないような情勢では、オプション・プレミアムは高くなる傾向にある。つまり、経済が不安定になり、国家資格等を目指す人が増えることによって、 その取得のためのコストは高くなる、言い換えれば難易度が高まるのである。しかし、市場においてこのオプションの価値が正しく評価されているかどうかは疑問も残るので、 風評だけで資格取得に走るのは、慎んだ方が良いようにも思う。現在までのところ、国家資格は概して過大評価されているような気が筆者にはする。 無論、投資収益の中には、金銭換算できない収益(心的効用)も併せて考えられるから、会社の歯車から脱却できるということを大きな満足と考える人は、それもいいことだろう。

 さて、話題がだいぶ逸れたが、こんなことを考えていたら、次のような面白い話をみつけた。

 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部編訳[2001](※注)に、人生最大の選択の一つである「結婚」もオプションの行使と考えることができるという内容のコラムがある。

 「結婚を撤回するには費用がかかる。しかも結婚後の幸せ、もしくは不幸せに関しては、多大な不確実性がつきまとう。したがって、結婚を決定する時には十分に注意を払い、 期待される結婚からの見返りが十分に高いときにのみ決定すべきである。[中略]
 交際期間というのは、調査や研究開発と同じである。期待利益が高くないとしても、交際によって価値のあるオプションが創出されるから、まずは交際してみるべきである。」(同書p95)

 このように捉えて行動すると、人間関係においてもできる限りリスクを回避することが可能となるであろう。しかしその前に、こんな打算的な人は、あまり他人には好かれないかもしれない。 筆者も、結婚というオプションは既に行使してしまったものの、このような思考形態なので、注意することにしよう。

※注:DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部編訳『金融工学のマネジメント』ダイヤモンド社、2001年
 

2001年3月3日