No.16 収益価格偏重時代に思う



 やれ収益だ、やれキャッシュフローだと騒がしい昨今、不動産が専門外である人たちに向けたと思われるDCF法の本も多く出版されている。 当コーナーNo.12 未だに横行するDCF法の礼賛でも述べたが、従来の鑑定評価では収益還元法を軽視しているとか、 鑑定士の評価はあてにならないとまで言うバッシングもある。こういった風潮には、当サイトでは、本当に口が酸っぱくなるくらい反論してきた。 筆者の主張の骨子をここで改めて整理すれば、

1.鑑定士が収益価格を軽視していたのではなく、市場が収益性で不動産を判断していなかった。
2.そのような土壌から、確かに収益還元法の精度が向上する機会がなかった。
3.土地神話の崩壊により、収益性が価格判断の主要指標になってきたため、鑑定評価もそれに対応すべきであり、現にそう変わってきている。
4.収益還元法さえ適用すれば、正しい理論価格が求められるという安易な風潮は、世間一般が手法の本質を理解していない証拠である。
5.最も大切なのは、不動産データに関する情報開示とその蓄積であり、それなくして評価の精度向上は望めない。

などである。

 収益価格は、元来需要者サイドの価格であるから、不動産に投資しようとする者が、自身の期待収益率等に基づいて、 自分なりの投資価値を判断するために極めて有用である。従って、昨今、一般人を対象にしてDCF法等の手ほどきをする出版物が増えてきたのは、 大変良いことである。だが、その事実が、どういうわけか従来の鑑定評価を批判する道具にされているのは、誠に遺憾だ。 その手の本にあからさまに書かれていることもあるし(上記で引用した当コーナーNo.12で取り上げた著書もその一つ)、 経済雑誌の記事などにも見受けられるのだが、「もうDCF法を知らないでは済まされない→これさえ使えば正しい価格が求められる→ なのに鑑定評価では今まであまり使われてこなかった→ゆえに鑑定士はあてにならない」という論理展開である。

 こういう論調の中では、ある重要な点が見落とされている(あるいは意図的に無視されている)。 それは、投資者自らの投資価値判断と、客観的な鑑定評価とはまったく別物であるということだ。 投資者自らが、DCF法等を活用して独自に購入価格を判断することは当然自由であるし、そこでは自分の期待する利回りを前提として 算定すればよい。しかし、不動産鑑定士が評価を行う場合は、あくまでも客観評価であり、専門家としての責任も伴う。 投資者に独自評価を勧めるのは正しいが、それと鑑定評価とは次元の違う話である。

 言うまでもなく、自由経済にあってはモノをいくらで売買しようが、まったく勝手である。自らが最も合理的と思う値段を算定すればよい。 それにもかかわらず、鑑定士という職業があるのは、客観的な価値評価というものが社会に必要とされているからである。

 それゆえ、鑑定士が常に意識すべきなのは、第三者的なジャッジを行う立場だという点であり、売買当事者の独自の価値判断に迎合する必要など まったくないということだ。

 どうも日本人は、何かが良いとなると、一斉にそちらに傾く習性を未だに持っているようだ。現在の不動産をめぐる状況は、まさに「買い手市場」であるから、 買い手が首をタテに振ってくれる値段、つまり「売れる値段」こそが正しいというような風潮がある。しかしこれは、 明らかに過熱気味の世論のオーバーシュートに過ぎないものであって、これが普遍的な姿なのでは決してない。

 誤解していただきたくないのは、鑑定士は自ら信じる価格を出せばそれでよい、と主張しているのではないことだ。 「売れる値段」を知りたいというニーズがあるのなら、コンサルとしてそれを提示すべきである。しかしそれは、公正なジャッジとは別物である。

 そして、公正なジャッジとして収益還元法を有効なものとするためには、利回りデータ等の蓄積が必須であり、現在のところまだ十分ではないと思われる。 これが進むためには、不動産は収益性が大事であるという認識が、一般人の間にもっともっと流布され、データ開示のしくみが構築される必要がある。 世の中がそうなった後でも、データそのものの評価、つまり適正値がどこにあるかといった判定は、鑑定士の職務である。

 高度経済成長時代以降、地価が継続的に上昇していた時には、長らく土地に対する需要が旺盛だったため、 供給者サイドの見方である原価法的考え方(土地は原価法に馴染まないので更地の比準価格と建物の積算価格の合算となる)が説得力を持っていた。 バブル時代のように地価が激しく変動する時には、短期変動をリアルタイムで捕らえられる取引事例比較法が最も説明力を持つ。 そして、バブル崩壊後、経済の負った大きな傷を修復できておらず、供給がダブついている現状では、需要者サイドの見方である収益還元法的な考え方が台頭する。 そういう一連の流れの中にあることを認識すべきである。収益、収益と大騒ぎしているのは、定常的な状態とは考えにくい。

 収益還元法の高度化といっても、データの収集及び整備システムの確立と、その分析手法の発展以外に理論的、技術的に高める余地などほとんどない。 むしろ未発展のまま残されているのは、取引事例比較法(及び賃貸事例比較法)の技術ではないのか。 地域格差や個別格差を判定するに際し、経験則や勘を売り物にするようなことは、 少なくとも科学的な態度ではない。ヘドニック法等を積極的に取り入れ、より客観的な説明力を持つ鑑定手法を確立すべきであろう。その点、田原・平澤[2000](※注1)は参考になる。

 我々不動産鑑定士は世論に振り回されたり、迎合したりすべき立場ではない。適正な手法、適正な判断方法等の指針を、世の中に与えるべき立場であるということを、 我々自身が認識しなければならないのではないだろうか。

 宮田[2001](※注2)が主張するように、「本来、不動産鑑定士はいままで積み上げてきた不動産鑑定士としての経験や実績に基づいて、 機関投資家に対してコンサルティングすべき立場」(宮田[2001]3ページ)なのだ。また、DCF法はアメリカでは既に古い手法であると言われている との雑誌記事に対して、「要するに、いい加減な手法であるということである。筆者に言わせれば、こんなことははじめからわかり切っていたことである。」 (同書5ページ)との意見にはまったくもって同感である。

 そもそもDCF法程度のものが、「必死に学ぼうとする」ほど難解でもないし、万能でもない。 DCFを手放しで絶賛する風潮も辟易するが、DCFなどもはや使い物にならない等と無責任に言い放つだけの意見も感心しない。 どこがどうダメなのか具体的に指摘するべきだし、それに代わる理論的モデルを提示すべきである。 とは言え、筆者も今後、リアルオプション等の金融工学的手法を発展させ、根づかせることに注力すべきであると考えている。 当サイトで積極的に論じてゆく所存である。

※注1:不動産鑑定士市場賃料研究会 田原拓治・平澤春樹『システム賃料』清文社、2000年
※注2:宮田勝弘『不動産キャップレート』清文社、2001年

2001年3月11日