No.19 確かに「マンションは買い時ではない」が・・・
−AERA・4/16号に抗議する−
また、いつもながらのバッシングだ。
朝日新聞社発行の週刊誌『AERA』4月16日号に、「マンション買い時でない」という記事があった。 地価やマンション価格はまだ下がる。マンション購入は資産を増やすことではなく、負債を作ることだ。 販売業者のセールストークに騙されるな・・・。この記事で展開されている主張自体は、概ね的外れではない。
しかし、地価について、「不動産鑑定士が不当なインフレ価格を出し続けた」という都市経済研究所主任研究員・福井康子氏の発言には、 いつもながら呆れてしまった。
当サイトをいつもご覧くださる方々には重々ご承知のことと思うが、私は常日頃、日本人の病的なまでの持家信仰にこそ問題の元凶があり、 この意識を改革してゆかないと、我々は本当に豊かな住環境を手にすることなど不可能だと言い続けている。 今回のAERAの記事は、その意味では私の主張に沿うものであるのだが、不動産業界や鑑定士が間違った道を示しているから、 市民が適正な価格決定をなすべきだとの見解には、やはりはっきりと異議を申し入れておきたい。
(持家信仰に対する警告としては、No.1:土地神話は、本当に崩壊したのか、No.2:持家信仰の正体、 No.3:それでも家が欲しい人のために、 No.4:家賃は、払い捨て? 等を参照。鑑定士や鑑定評価に対するバッシングに関しては、 No.12:未だに横行するDCF法の礼賛、No.14:不動産鑑定にもパラダイム転換が必要、 No.16:収益価格偏重時代に思う、No.17:収益価格偏重時代に思う2 等を参照されたい)
日本人にとって土地や住宅は、ブランド品と同じようなものである。つまり、利用価値ではなく、それを所有するという事実にこそ 価値があるのである。それに対して、我々鑑定士が「おかしい」と主張してみたところで、少なくとも今までなら相手にはされなかった。 それはまるで、有名ブランドバッグの本当の価値は、ついている価格の半分以下だと主張するに等しい。 ブランド品を買いあさる人は、真の利用価値よりも、持つことによる満足感に対してお金を払っているからだ。 そのような需要も市場経済では正しい需要であり、物の値段とはそうやって形成されるものだ。
もちろん不動産はバッグや洋服と同じではないから、そのように価格が高止まっていることの社会的弊害は大きい。 その事実にようやく皆が気づき始めたから不動産価格は下がり続けているのである。
不動産鑑定士は、いつの時代も市場の現実をただ冷徹に捉えることが重要な職責だ。 しかし、それだけが役割ではなく、正しい方向性を示すという役割も、今後は求められると思うので、 だからこそ私は、土地や住宅に対する異常な執着を捨てようと呼びかけているのだ。
AERAの記事でもうひとつ気になった点として、「収益還元法で資産価値を判断しよう」というのはよいが、 グロスの賃料収入を8%の利回りで還元する算式を紹介している部分は様々な誤解を生じかねないと思う。
設定賃料の妥当性や今後の持続性、地域の需給バランス、管理費や修繕積立金の問題、そして最も問題の大きい部分として、 利回りの妥当性など、慎重な検討がなされなければ決して適正価格など算出できないのに、 こんな安易な方法だけを唐突に提示することは、かえって誤った認識を植え付けるだけだ。
そもそも日本における住宅というものは、仮に賃貸した場合に収受できる賃料が安かろうが、 それとは関係ないところに皆が価値を見出してきたのだから、利回り自体が極端に低かったというのが正しい見方と言える。 例えば買う人の期待利回りが2%なのに、正しいのは6%とか8%ですよなどと何の根拠を持って主張できるというのか。 従来の鑑定が間違っているなどと主張する方々には、そのあたりをよく考えていただきたい。
何度も言うが、私は、無論住宅価格が高止まることは国民全体にとって良いことではないと思っている。 しかし、ダイヤモンドに心引かれる女性に、「あなたは間違っている」などという説教をする権利は誰にもない。 たとえ三度の食事を二度にしてでも、ダイヤの指輪をしていたいという女性一般の声が多くあるのなら、 ダイヤモンドの値段は高止まり、永遠に女性の憧れの的であり続けるだろう(※注1)。
国民一般にとって、不動産もそのようなものであるのなら、そこに合理性の文字が入り込む余地などないではないか。 やはり我々日本人は、不動産に関しては、目を覚ますべきだろう。
最近とみに多い今回のような雑誌記事は、その意味でむしろ歓迎すべきことだが、 不動産鑑定士が誤った誘導をしているかの如きバッシングには、やはりこれからもはっきりと反論してゆきたいと思う。
ついでに販売業者の弁護もしておけば、彼らはマンション等を売ることによって生きているのだから、 当然セールストークは必要である。魚屋さんや八百屋さんと変わらない。売り手は常に売り手の論理で商品説明をするのだ。 消費者は、その売り手の論理に惑わされず、 自ら商品の選択眼を持つべきであることは食料品や日用品だけでなく、より高い買い物である不動産については当然であろう。 家を買うとなると、のぼせ上がってしまう買い手の方にこそ大きな問題がある。
しかし、最も問題視すべきなのは、社会に何か苦境が訪れると、手当たり次第にスケープ・ゴートを探して、 不当に責任を覆い被せようとする人々の精神構造であろう(※注2)。
※注1:ダイヤモンドの値段が高いのは、もちろん不当な需要が支えているからだけではない。 需要に比べ、供給が少なく、際立った希少性があるからだ。しかし、いくら探すのが難しかったり、高い製品化技術が要求されるからといって、 その供給サイドの要因だけでは高値はつかない。例えば「四ツ葉のクローバー」は極めて希少性が高いが、 それに対する過剰な需要が存在するわけではないため、高値で取引されたりはしないのだ。
※注2:今の不況を招いたのは、すべて政治の無策のせいであるとか、過去の首相の失政のためだなどとする無責任な発言にもそれは現れている。 現政府及び政権党の肩を持つ気など私にもさらさらないが、政治家を責めることは、選んだ我々自身を責めることだということを忘れてはならない。 国民の代表たる国会議員を信じられないのなら国民をやめるか、自ら立候補して政治家になるべきだし、不況が嫌だというのなら、 今すぐ皆で貯金を下ろしてお金を使うべきである。
2001年4月14日