No.22 アクセス数とサイトの価値



 当サイトには、アクセスカウンターを付けていない。その理由は、カッコよく言えば、アクセスの多さ(人気)とサイトの価値とは全く関係がない ということであり、本音を言えば、あまりに訪問者が少ないことがバレてしまうと恥ずかしいからである。もちろんWeb Masterである私は、 実際の訪問数を把握しているが、それによって一喜一憂するというようなことは、基本的にはない。

 ところが、つい一カ月ほど前、ちょっとした事件が起こった。

 突然、1週間の訪問者数(Visits)が1,700以上、同じく1週間の総アクセスページ数が1万を超えた。Visits数で言えば、通常の実に2倍以上である(アクセスページ数としては、 通常の1,2割増程度に過ぎない)。急に今までの倍以上の人が見に来てくれるようになるとは考えられないため、レンタルサーバーのアクセス統計の詳細を見てみると、 最もアクセス数の多いページ(ファイル名)は、"robots.txt"であった(1,700余visitsのうち、実に900visitsを占める)。 つまり、様々な検索エンジンからの検索ロボットが、集中砲火的にクロールしていったものだ("robots.txt"というファイルは、 通常、訪れた検索ロボットに一定の制限等を加えるために、サイトのルートディレクトリに置くものである)。

 この一件では、結局ちゃんとしたアクセス数は、通常と変わりがなかったのであるが、当サイトのような閑古鳥サイトでも、 何かをきっかけにアクセス数が急増するようなことも起こりうるかもしれない。だからといって、それでサイトの価値が上がるわけではない。 一般に、サイトの人気度や総アクセス数というのは、主宰者が大企業のように著名であるか、あるいは、人に先んじて早くから開設していた という事実に基づく場合が多い。

 ※Yahooの登録サイトが良い例である。登録申請数の少ない時期に開設したサイトは、内容的にかなり「お寒い」ものであっても堂々と登録されている一方で、 今から登録してもらおうと思えば、かなり内容の充実したサイトであっても恐ろしく狭き門である。

 また、閲覧者が多いからといって、その情報に信憑性のお墨付きが与えられるわけでもない。 数というものは、それだけで正当性や信頼度の指標のように見られてしまいがちだが、それは大きな間違いである。 大多数が支持する事柄が、常に正しいということはないし、支持が少ないからといって、軽んじて良いわけではない。

 さて、都議選でついに議席を失った社民党が、他党に遅れて作ったCMの放映を、在京、在阪のキー局から相次いで拒否されるという憂き目に会っているそうである。 「他党の誹謗、中傷にあたる」というのがその理由らしい。なんでも、『本当に恐いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる』という表現がいけないらしい。 国民の大多数が支持する人気者を、「恐い」というのはけしからんということなのだろう。

 現在の政治をめぐる状況を、評論家は、「大衆迎合政治」と呼び、それも本来の意味の「政治が大衆に迎合している」のではなく、 「大衆が政治家に迎合している」という意味らしい。実に、言い得て妙である。今まで政治に無関心だった人が、何だか訳も分からないまま、 とりあえずカッコいい台詞を吐く人を支持してしまう。そこまではまだ良いとしても、それに疑義を差し挟む声に対し、ヒステリックかつ凶暴な反応をするに至っては、 何をか言わんやである。「本当に恐い」のは、その大衆の側の熱病であろう。

 中立であるべきマスメディアが、自主的にコントロールをしているというのも、新しいタイプの情報統制である。 もし、大多数が支持することのみを正しいとして擁護し、それに反するものを排除しようとするならば、メディアには「表現の自由」などという 高邁な理想を語る資格はない。

 私は、強硬な護憲派でもなければ、改憲論者でもない。ひとつひとつを冷静に見てゆきたいし、何よりも思想や表現の自由が大切だと思っているだけである。 受け取った情報を、正しいと思うか正しくないと思うか、あるいは、好きなのか嫌いなのかは、各自が判断すべきことである。 各自の冷静な判断を妨げるような統制は、それが誰に向けられるものであっても、絶対に認めてはならない。 民主主義における多数決の原則というのは、各人の冷静かつ主体的な価値判断を前提とした上での話である。いわば皆が大人であることを要求する。 多数の声さえあれば、たとえ冷静さと主体性を失った声であっても、それで物事を決定して良いということではない。まして、少数を排除することは許されない。

 政治家の本当のメッセージを理解した上で支持することはもちろん好ましいことであるが、問題は、真意を理解せぬままただムードに乗って、 あるいは皆が良いと言うからというような理由でファンになる極めて幼稚な行為である。アイドルグループのファンクラブに入るのとはわけが違うのである。

 人気者は、耳障りの良い言葉ばかりを声高に語り、もしかするとそのうち段々本質からずれた方向に進んで行く可能性だってある。 それをシビアに見てゆこう。くれぐれも論理のすり替えにごまかされないように。


P.S. お気づきの通り、このコラムのタイトルと、話の結論はまったくずれている。これが論理のすり替えの良い例である。

2001年7月1日