No.23 嫌煙権と喫煙権
私は、まったくタバコを吸わない。実は、今まで一度も吸ったことがない。その理由は、ただ興味が湧かなかったからだ。 そして今後も、恐らく吸わないと思う。 でもそれは、健康を考えてなどという高尚な理由ではない。 吸っても楽しそうではないし、美味しそうでもないからだ。
タバコが健康を害することは周知の事実であり、「百害あって一利なし」とまで言われているが、 実は、私はタバコにも利点はあると考えている。 タバコを吸って心が安らぎ、ストレスが解消でき、 ひいては人生が豊かなものに感じられるのなら、 その人は大いに楽しんで吸うべきであると思う。
所詮、今の世の中、健康に十分気をつけていても、 交通事故に遭ったり、また、別の要因で死んでしまうことは多々あるはず。 タバコを止めたからといっても、 それで100歳まで生きられる訳ではない。 それに、そもそも長生きすることだけが幸せとは限らないのだ。 太く短く楽しい人生というのもアリだと思う。
私自身は、現時点において、 タバコを吸うことで人生が豊かになるとは思えないので吸わない。 だが、お酒に関しては、おいしいし、楽しいと思うので飲んでいる。 たったそれだけの理由である。
しかし、一つだけ注意しておかなければならないのは、 お酒は、酔って暴れたりしない限り、人に害を与えることはないが、 タバコは、確実に周囲の人間への加害行為であるということ。 当人が吸い込んでいる煙より、むしろ副流煙の方に発ガン物質を多く含んでいることが、科学的に証明されている。 人に害を与えないのであれば、何をしても自由であることは、 自由主義国家の大原則であるが、 他人に危害を加える事実がある以上、 公衆の場での喫煙は禁止すべきだと思う。 それが自由主義社会の最低限のルールではないだろうか。
私は、新幹線などは必ず禁煙車に乗るが、 折悪しく禁煙車が取れなかったとき、 隣席の人から、「タバコを吸ってもいいですか」 と尋ねられたら、快く「どうぞ」と言うことにしている。 花粉症の発症する春先などは、実のところ煙は本当に辛いのだが、 そんなときでも、快くOKしてしまう。 隣席の他人に気を配るという最低限のルールを わきまえている喫煙者は嫌いではないし、 そうやって尋ねてくれることがむしろ嬉しいからだ。 それとは反対に、尋ねもせず、当然の権利のように吸う人に対しては、 かなり不愉快な気分になる。 そのような人は、社会人失格であると思う。年齢などはまったく関係ない。 その人が社会性を有しているか否かというのは、結局、人の立場で物事が考えられるかどうかという問題に帰着すると思う。
そもそも列車の「禁煙車」というのはやめて、 「喫煙車」を作るべきだと私は思う。 喫煙車以外は当然禁煙。 喫煙車は、文字通り喫煙者だけが乗るので、 肺ガンを助長しようが知ったことではない (車掌さんの嫌煙権はどうなるのか、という問題は残るが)。
そして私が一番嫌いな喫煙者は、 道を歩きながら吸う人と、吸殻をポイ捨てする人である。 人ごみを歩いていて、腕にタバコの火をつけられたことが、 今までに何度かある。これはもう、はっきり言って、傷害事件である。 子供の顔とかだったら、どうするつもりなのか。 また、吸殻を道に捨てるなど、言語道断である。いったい街を何だと思っているのか。 そういう非常識なヤツは、厳重に取り締まるべきだ。 社会性の欠如としか言いようがない。
繰り返し言う。 私はタバコを吸わない。 でも、吸うこと自体を悪いとは思わない。まったく個人の自由だ。 だから、タバコそれ自体が問題と言うよりも、 社会常識を持っていない人の存在こそが問題なのだ。
タバコというものを通じて、 そういった社会人としての最低限のマナーを学んでいただきたいと思うのである。 そのくらい、この国の国民は幼稚なのだ。 「個人主義」が確立されないまま「個の時代」に入ってしまったために、 「利己主義」を「個人主義」と、はきちがえている人が多すぎる。
自分の権利を主張するためには、 まず他人の立場を100%尊重し、その権利を擁護し、その上で、 自分一人で責任の取れる範囲内で行動すべきである。
そういう最低限のルールを守らない人に、 「タバコを吸う権利」などと言う権利は断じてないと思う。
当コラムは、以前、喫煙についてのアンケートに対して、筆者が答えた際の回答に若干加筆、修正したものである。
2001年7月19日