No.25 リスクについて考える



 土地神話が、土地にはリスクはない、あるいはあったとしても他の資産と比較して極めて小さいという神話であるのなら、 そんな幻想はとっくに崩壊してしまっていることは自明であろう。どんな投資にもリスクが伴うのが当然であり、リスクとリターンの見合いで、 我々は投資先を選択しなければならない。

 そもそも我々人間の行動には、すべてリスクが伴う。人生における数々の選択は、リスクと見返りを天秤にかけることによってなされる。

 中学校の音楽教師をしているAさんを例にとろう。Aさんの子供の頃からの夢は、ピアニストになることであった。 実際、いくつかのコンクールでも優勝し、当然のごとく音大まで進んだ。いよいよ卒業という時期になって、Aさんは考える。 自分は本当にピアニストとして生きてゆけるのだろうか。プロになれず、路頭に迷うことになりはしないか。

 そこで、危険な賭けに打って出ることが出来なかったAさんは、生活のために教員の道を選択する。

 このAさんの一連の行動は、リスクというものを考える上で重要な示唆を与える。危険を避け、より安全な道を選んだAさんだったが、 いくら安全だからといって、普通のサラリーマンになる気はなかった。誰しも危険は避けたいが、それと引き換えに失ってもよいと考える利益や満足度、 つまり犠牲の許容には限界がある。その狭間で行なったAさんの選択が、音楽教師という道だった。

 この話は、次のように言い換えることができる。

 Aさんにとって、多大なリスクを背負ってピアニストの道を選択することと、その夢をあきらめ、リスクの小さな音楽教師の道を選択することは、 自分の中では甲乙つけがたい代替案であった。ミクロ経済学的に言えば、各々の選択から得られる効用は、Aさんにとっては無差別である。

 このリスクを伴う選択から得られる効用と同程度の効用が、無リスクで得られるような代替案を、確実性等価とよぶ。 安全確実に音楽教員になって収入を確保する選択は、この場合、危険を背負ってピアニストを目指す選択と同程度の満足度をAさんに与える。

 Aさんにとってピアニストになることによる人生の達成度を100とした場合に、音楽教員となることによるそれが60とすれば、 差引40は、安全のためならば失ってもよいと考えたものであり、この40がAさんにとってのリスクプレミアムである。

 様々な選択において、危険を限りなくゼロに近づけることはできる。まったく危険のない代替案というものが存在するケースだって考えうる。

 例えば、現在戸あたり月額5万円の賃料で部屋を貸しているアパートの家主Bさんが、この家賃では空室が発生する、しかし空室は絶対にいやなので、 どうしても満室を維持したいと思ったとき、家賃を10分の1の月額5千円に下げれば、おそらく絶対に満室を維持できる。だが、この選択にどれほどの意味があるだろうか。 リスクを避けたいがために、非常識なまでに収益を犠牲にして、経営が立ち行かなくなっては元も子もない。

 リスクを避けられるとしても、収益の減少をどこまで許容できるかは、人によって異なるとはいうもののどこかに下限がある。 様々な人のその許容範囲を統計的に測定すれば、リスクプレミアムの一般的数値をつきとめることができるかもしれない。

 幸い、金融の世界では、許容の最下限となる無リスクの投資先を想定することができる。一般には、国債への投資利回りを、 最下限の無リスク収益率とすることが多い。

 不動産鑑定で収益還元法を適用するとき、リスクプレミアムを測定する合理的方法がないといわれる。 確かに、国債の利回りとの差を測ろうとしても、不動産から得られる収益に基づく効用と、国債から得られる収益に基づく効用とを同列に比較することが難しい。 危険性を客観的に測る術がないからだ。

 それでは、次のように考えてみたらどうだろう。

 Bさんのアパートは戸あたり月額5万円の賃料で、現在20%の空室が発生している。これに対し、近隣における平均的空室率は5%である。 Bさんが、近隣の平均的空室率を達成しようと思えば、家賃を戸あたり4万5千円に下げなければならないとする。 つまり、戸あたり賃料を5千円値下げすることによって、ほぼリスクを負担せずに標準的稼働率を達成できる。これを、確実性等価とみる。

 この例では、5千円×戸数(値下げ総額)が、リスクプレミアム相当である。但し、何に対するリスクプレミアムかと言えば、 地域における標準的稼動率を達成する無危険収益との対比におけるプレミアムである。よって、当該無危険収益に対応する利回りが合理的に算定できるのなら、 この物件に係る適正利回りも導出される。

 不動産の無危険収益(※注)に対する適正利回りは如何にして求められるのか。これが判明しない限りは、やはり個別物件の適正利回りは算定できない。

 詰まるところ、金融市場における無危険投資によってもたらされる効用と、不動産の無危険収益によってもたらされる効用との相対的な関係が解明されない限りは、 この問題は解決しない。効用は、本来、人によって異なる個別的なものである。

 この問題を解くための一つの鍵が、ポートフォリオ分離定理であり、株式と同じように「不動産ベータ」のようなものが導出できれば、合理的な利回りが算出できる。

 これは、筆者の今後の課題の一つである。

2001年12月16日

※注:「不動産の無危険収益」との表現は誤解を与えかねないが、一般的なファイナンス論で言うところの無リスク資産の収益という意味ではなく、 不動産であることの最低限のリスクを具備することを所与とした場合の収益という意味であり、本来的な無リスク資産と比べれば、不動産固有のリスク分だけ プレミアムを考慮しなくてはならないのだ。「最低リスク不動産収益」とでも言うべきだろうか。