No.27 鑑定士に相場観は必要か
不動産鑑定は現場仕事である。
必ず現地に赴き、必要な資料を足で集める。そういった現場での作業なくして机上だけで行なえるものではない。 当然のことながら、評価する対象不動産の存在している周辺地域について、色々と精通していることは有利である。 その意味で、不動産鑑定は土着的な仕事だといえる。
「鑑定士は不動産取引の現場をあまり知らない。相場を知らないで評価をしている。」というような批判を、時折、耳にすることがある。 鑑定が、多数の取引実態を現場感覚で把握した上で行なう「目利き」のような仕事であるのなら、相場を肌で知らないことは致命的であり、 そんな状態で値付けを行なっていたとしたら、非難されてしかるべきである。
だが、果たして不動産鑑定とはそのようなものであろうか? 相場観を持つ者だけが、的確な評価をなし得るのだろうか?
以下、筆者独自の意見であるから、これが不動産鑑定士全般の見解であると理解していただきたくないが、 私の認識では、鑑定士に相場観は要らないと思っている。下手な相場観があると、むしろ弊害にすらなり得る、とも思っている。
不動産鑑定は情報産業であると、私は認識している。必要なことは、多数の情報を集め、処理し、そこから何かを読み取り、結果としての数字に表す。 不動産鑑定評価基準に「鑑定評価は不動産鑑定士等の判断であり、意見である」というくだりがあるが、相場観に基づく単なる意見だとしたら、 古美術鑑定や運勢鑑定と同じになってしまう (これらの職業を揶揄する意図など筆者には微塵もないので、念のため。 単に仕事の目的物と方法論が違うだけである)。判断をするためには、客観的な後ろ盾が必要である。 それが資格者個人の経験に基づく相場観では客観性を欠くし、とても科学的な方法とは言えない。
「鑑定士が値を付ける」というのは一種の傲慢であって、私は、「数字に語らせる」ことが必要だと思う。 つまり、膨大なデータの語っている声を聴き取り、翻訳する一種のエンジニアであるべきだと考えている。 そうでなければ、投資家に対する適切な情報提供を行なうアナリストにはなり得ない。
もちろん、データ収集と分析にあたっては、鑑定評価の専門知識が不可欠である。コンピュータや数学が得意なだけで不動産鑑定はできない。 同じ数字を見ても、どこが重要で、それがどんな意味を持つかは、この分野の専門知識なくしてはわからないからだ。 ただ、情報収集に関しては、すべてのバイアスを排して、とにかくまず集めてみなければならない。下手に相場感があると弊害にすらなり得ると書いたのは、 情報収集段階で、相場観に基づいた色眼鏡で下手な選別をしてしまいかねないからだ。常に真っ白な感覚で情報入手しないと、 市場の構造変化などを見落としてしまうことすらあり得る。
不動産鑑定評価基準にいう「価格形成要因の分析」や「将来予測」が、 不動産の価格に関する唯一の国家資格者という一種の特権階級意識に立脚したご託宣のようなものであってはならない。 確かに、専門家の意見を聞きたいというニーズもあろうが、それは、情報処理にたけたプロの分析結果を聞きたいということだ。 それに応えられないようでは、単なる「ハンつき屋(=ハンコ押し屋)」と言われても仕方ない。 多数の情報を科学的に解析せずして行なった将来予測などは、単なる占いに過ぎないのだ。
我々に求められているのは、不動産に関するデータベースの構築と、その分析手法の高度化、法的な問題解決能力、 適切な投資アドバイスなどであろう。したがって、「相場観」程度に立脚した評価は評価とは言えず、 「相場観」に頼っていれば鑑定士は自滅を免れ得ないと私は考えている。
2002年4月7日