No.28 批判するということ



 筆者の論文(※注)も掲載されている『Evaluation 第5号』(2002年5月15日、発行: プログレス)に、 「鑑定協会のさらなる変革に期待する」と題するふくいやすこ氏の文章がある。 この中に、重大な事実誤認があり、極めて憂慮すべき事態であるため、ここで明らかにしておきたい。

 同文章の趣旨は、不動産鑑定士は自分達の頭の中で、日本不動産鑑定協会、国土交通省と三者がワンセットになっているため、 鑑定士が向上、成長するにはどうしたらいいかという類の問題に際しても、いつも「協会」や「国」が出てくる。 鑑定士はこのような旧態依然とした護送船団方式のようなぬるま湯に浸かっており、 社会のニーズに応える努力をしていない、といったものだ。鑑定士よ、今こそ競争社会の中へ、マーケットの荒波へ 漕ぎ出してゆけ、というある種のエールだと筆者は感じ、その点は共感するものである。

 所属する組織がこうであるからと言って自らの努力不足を棚に上げたり、組織が守ってくれるなどと考えるようなことは 厳に慎むべきことであって、社会のニーズを聞き、個人としての進歩、改善によってそのニーズに応えられる存在に ならなければ、市場から淘汰されて然るべきだとも筆者は思っている。

 しかしながら、同記事中、以下の表現については、重大な事実誤認があり、一般読者に誤解を与える恐れがあるため、 真実を提示しておく。


(1)『〜日本不動産鑑定協会は任意団体であり、参加自由であり、現に入会していない人も多数いるのにもかかわらず、 なぜ、地価公示等の国の税金を使う委託を、この一協会で受けているのか、ということである。』(同書46ページ)

 この点については、確かに以前はこれに近い状況であった。厳密に言うと、『この一協会で受けている』という表現は正しくなく、 協会はあくまでも推薦を行なうだけで、委託契約は、国と個々の鑑定士との間で直接成立するものであるのだが、協会が間に入るという のは事実であった。

 地価公示業務を不動産鑑定士だけが独占していて 他の一般人に委託されないのは、地価公示法の規定及び業務内容の専門性によって当然のことであるが、国が不動産鑑定士に委託する際、 仲立ちとして鑑定協会が介入し、しかも強制加入ではない同会の会員だけに資格があるというシステムは、 たとえ協会が様々な事務処理の労を取っているからといっても、やはり問題であるから、今般の受託申請から、 鑑定協会に属しない不動産鑑定士であっても全く同様に申込ができるということになった。 つまり上記表現に類する事態は、現在は解消されているのである。

 ただ、本件について氏を弁護できるとすれば、 執筆時点において、この事実を知り得る状況にはなかったのかもしれない。



(2)『そもそも、同種の作業量の業務である相続税の評価の委託単価は1ポイント1,000円程度と、 公示地価〔原文ママ〕に比べて17分の1という安さで済んでいる(受託されている)ことから考えると、 国交省の地価公示価格の発注には、その差相当の「高すぎる」評価料を支払っている、税金の無駄遣いだと 国民から言われても、反論できないのではないか。』(同書47ページ)

 まず、『相続税の評価』が1ポイント1,000円程度と書かれていることから、これは相続税でも 「標準宅地の鑑定評価」ではなく、「土地価格精通者意見」のことを指しているであろうと思われる。 が、当該業務と地価公示業務が『同種の作業量』であるとは、とんでもない誤りである。 同じ相続税でも「標準宅地の鑑定評価業務」の作業量は地価公示に近く、こちらの報酬は、地価公示とほぼ同水準である。

 そもそも、精通者意見価格というのは、その名が示すとおり、地元の地価に精通する者としての 意見を述べるものであり、鑑定評価ではない。地価公示が、都市計画や地価に関して必要な情報を収集し、 取引事例カードを多数作成し、現地を実地に点検し、 鑑定評価の手法を適用して鑑定評価額を算出する業務であるのに対し、精通者意見の業務内容はまったく異なる。 当然、従事時間も比較にならないほど地価公示業務のほうが長く、 作業量も雲泥の差である。筆者も含め、地価公示業務を受託している鑑定士は、その作業量 (会議に出席し、議論、検討する時間も含め)と報酬とを比べると(単純に金銭的な面だけで言えば) ほとんど割に合わない業務であるとの認識を持っている。

 『反論できないのではないか』どころではない。馬鹿らしくて反論する気にもならない。ちなみにもう一つ訂正しておけば、 精通者意見の報酬は、地価公示に比べて『17分の1』というのも正しくない。地価公示の報酬は、そんなに安くはない。 もしそんなに安かったら、完全に採算が合わない。

 受託者が採算に合うかどうかではなく、社会がそれを必要としているかどうか、しかもいくらでなら発注したいと考えるのか で報酬は決まるべきだとの意見は、当然あろう。それが市場の原理であるからもっともである。が、もし市場がその商品に対し極めて安い報酬しか 支払う準備がないのなら、要求する商品のクオリティも、それに見合うものでなければならない。それも市場の原理である。 だから、地価公示1ポイントに対する報酬につき1,000円が妥当であるということなら、それに見合う品質しか要求できないはずである。 そんな水準では、地価公示法の目的を達することができないのは明らかである。

 クオリティは限りなく高く、 支払は限りなく安く、というのでは、喩えて言えば、料理人に対し、完璧なフランス料理のフルコースを100円で提供せよと強要するのに等しい。 エアロビクスのインストラクターに、毎週1回自宅まで出張レッスンに来い、しかも1年契約1,000円でやれ、というのに等しい。 極めて非常識な要求である。

 私は、同記事を基本的には生産的な指摘であると認識しているし、私自身も含め不動産鑑定士の自らの資質向上や市場ニーズへの対応努力が 相当不足していることも否定しない。このような客観的な指摘には、真摯に耳を傾けなければならないと、常に感じている。

 リベラルな意見交換としての「批判」は必要で、望ましいものだし、「批判」しあうことによってこそ、互いに成長することができるのだと考えている。 ディベートやディスカッションが不足しがちな点については、我々は反省すべきである。

 しかし、正当な「批判」と、事実誤認に基づく「攻撃」とは厳しく峻別されなければならない。いやしくも公の場に文章を書く者にとって、 正しい事実を調査した上で真実を書くべきことは、最低限のモラル(あるいは能力)である。それをせず、事実と違うことを書き、 何らかの意図の有る無しにかかわらず、挑発的な表現をとることは、単なる「言葉の暴力」である。批判しようとする人間は、批判するとはどういうことか十分に理解してから すべきである。

 正当な部分には正当な評価をもって応えるが、不当な部分は正さなくてはならないと考える。

2002年5月16日


※注:同誌に掲載されている私の論文は、当サイトにもアップしている 「リアルオプション・アプローチは不動産鑑定評価と整合的であるか」というタイトルの小稿である。
 自分の文章が掲載されている出版物に、同時に不当な内容の表現がある場合、それに賛同あるいは容認しているように取られたりするのは 心外である。