No.33 鑑定評価の客観性を求めて



 不動産鑑定士が拠り所としている不動産鑑定評価基準が改正された。

 改正の大きな柱の1つに、「説明責任の強化」があるが、これは、専門職業家といえども 自らの行った判断について合理的に説明する義務があるということであり、言い換えれば、 合理的説明のできないような数値決定は行うべきではないということであろう。

 もちろん、すべてが客観的資料に基づいて説明できるわけではなく、時には経験値的判断も必要となる。 また、それが認められているのが国家資格者であるとも言えるから、鑑定評価基準に書かれている 「専門家としての判断、意見」という性格は否定されるべきではない。

 問題なのは、その判断や意見にあぐらをかいてしまうことだ。判断や意見が許されているからこそ、 常に客観的な説明を心がけなくてはならない。

 我々は、どれだけ客観的で説得力のある説明を、鑑定書の中で為し得ているであろうか。その自戒こそ、 忘れてはならないことであろう。


実証データを提示しない現状分析は、単なる当て推量である

 どんなにもっともらしい不動産市場分析を展開しても、それを裏付ける実証データを提示しない限り、 説得力は乏しいであろう。市場は低迷しているということを、いくら体感していたとしても、 それを数値で表すことができなければ、当て推量と大差ない。「私は相場を知っている」というよりも、 「この地域における住宅供給量は何戸」という説明の方が、科学的だろう。

客観的根拠を示さない将来予測は、占いにすぎない

 鑑定評価において、「予測」は重要である。不動産から得られる収益や、元本価格がこの先どうなってゆくのか。 それを分析することが、鑑定評価の重要な役割のひとつだと思うが、「私はこう思う」では、 説得力はない。客観的データを示す必要がある。例えば、地域の人口動態(特に転入転出等の社会増減)とか、 世帯分離状況などの数値を見れば、ある程度将来が見えてくる。こういう数値の提示なくして、科学的な鑑定とはいえないだろう。


 市場実態をつかむ手段として、統計分析は欠かせない。数値自身を分析してこそ、初めてそこに潜む法則性を捉えることができるからだ。

 私のような者でも、時々、鑑定士の方々を前にお話しさせて頂く機会がある。 そんな時、いつも、数値を分析することの重要性を語っているのだが、必ずと言っていいほど、次のような意見が出てくる。

 「統計手法はあてにならない。時としてとんでもない結果が出てくる。」

 これは、統計分析(回帰分析等の数値予測型手法)をした結果、常識とはかけ離れた数値が出てくる場合があるということの危険性を指摘したものだと思うが、 実のところ、おかしな結果が出てくるのは、おかしな分析をしているからである。

 喩えて言えば、統計手法とは、料理人が使う包丁のようなものである。出来上がった料理のクオリティが低いのは、 料理人の発想力や調理技術が未熟なためであるか、用いた材料が悪いのであって、決して包丁のせいではない。正しい包丁の使い方を知らなければ、 料理人とは言えないのである。

 また、統計は過去や現状を分析することはできても、鑑定評価に必要な将来予測ができない、という批判もある。 これも、大いなる誤解の一つである。

 例えば、時系列分析を行うことによって、より客観的な将来予測が可能となる。マクロ経済データなどを見ると、 タイムラグを伴って相関性を示すような指標がある。景気動向指数に採用されている先行指標などがそれである。 そのようなデータを用いて、ある程度先の予測を行うことは可能である。

 ただ、ここで注意しなければならないことがある。過去の実証データに基づいた将来予測とは、 あくまでも、「過去起こったことは将来も起こる。過去起こらなかったことは将来も起こらない」という前提に立っていることだ。

 天気予報で明日の降水確率を示せるのは、気圧配置や気温などの数値をもとに、過去の事実に照らして判断しているのであって、 今まで経験していないことは将来も起こりえない、という前提に立っている。しかし、有史以来一度も空からヤリが降らなかったからといって、 明日ヤリが降る確率は、本当はゼロではないのだ。

 明日のことは、実は誰にもわからない。貴方が明日の朝起きたときに、巨大な毒虫に変身している確率も、ゼロとは言えないのだ。(※注1

 そう考えると、将来を予測することというのは、実は人知を超えていることがわかる。 そういう恐れ多いことを、我々はしなくてはならないのだ。そこで、出来うる限りの精一杯の努力として、 過去の実証データをもとに、将来を推定することになる。時系列分析程度のことをせずして、合理的予測などと言えるだろうか。

 収益還元法全盛の風潮であるが、DCF法は将来予測を盛り込めるから精度が高い、などと主張する方々よ!  貴方の将来予測は、どのような客観データに基づき、どのようなモデルを想定して行ったものなのか。数式を提示して、説明して頂きたい。 それができないのに、収益価格万能論を吹聴しているとしたら、私は絶対に認めない。(※注2

 元々不可能な将来予測なのであるから、可能な限り客観的データで判断根拠を示さなくてはならない。 ことほど左様に、収益還元法とは責任の重い手法なのだ。その重みを理解していればこそ、慎重にならざるを得ないのだが、 するとそれに対して、鑑定士は収益還元法を回避している、などという、とぼけた批判が展開される。

 各々の投資家が、自ら要求する期待収益率や、また希望的観測に基づくキャッシュフロー分析を行うことはよい。 しかし、鑑定評価とはそういうものではない。

 我々鑑定士が忘れてはならないのは、様々な考え、様々な視点が混在する市場の総体を 分析し、客観的数値を導き出すことが、鑑定評価の使命であるということだろう。

2003年3月1日


※注1:少しふざけた話だが、これは次のように解釈して欲しい。
 今日竣工したビルが、明日も100%存続しているとは言い切れない。大地震で倒壊する可能性を否定しきれないからだ。 しかし、その生起確率を考えれば、キャッシュフロー予測にはほとんど影響を与えない。これは極端な例としても、 テナントが倒産するとか、急に退去したあと次の入居者が確保できないといった事態は、もう少し高い確率で生起しうる。 このように様々な事態を過去のデータから推測し、それを評価に反映させる必要がある。 少なくともこの程度のモデル構築をしなければ精緻な分析とは言えない。
 "杞憂"という中国の故事は、実は将来予測の無力さを鋭く指摘している。但し、確率論で考える限り、 空が落ちてくる確率は、0と想定せざるを得ない。だから、それは、杞憂なのだ。

※注2:「賃貸市場を分析した結果、2年目の収益は3%下落、3年目は5%下落・・・と予測してDCFを適用」 などというレベルのものが、"精緻な収益還元法"だと主張する自称アナリストみたいな方が世間には多いが、 笑わせないで欲しい。その判断根拠を実証数値から示せなければ、単なる数字遊びである。 評価者がただ頭の中で考えた賃料経路によるDCFなど、粗利回りで単純に割り算するよりむしろいい加減なのであり、 (一般人が理解できないのをいいことに)精緻そうに見せている分だけ、世間を欺く罪深い行為である。 世の収益価格崇拝論者の大多数が、この程度のレベルであることは、いくら強調してもし過ぎることはない。

当注記 2003年3月4日 追加