No.36 インターネットと営業活動
当サイトはあくまでも筆者個人のサイトであって、事務所紹介のようなページを設けていない。 それは、サイトの目的が、筆者独自の意見を述べ、研究成果を発表することに置かれているからであり、 そこに営業的ニュアンスを持ち込みたくない、という思想に基づく。
近年、いかなる業界であれ、商売をする以上はホームページを開設することがほとんど常識となっている。 ホームページくらい持っていないようでは、時代遅れも甚だしいと言われかねない世の中である。
ネットを活用すること自体に、筆者も何らの異論はない。しかし、様々な企業のサイトを見る限り(特に中小に多いが)、 義務感に駆られて、とりあえず開設しましたというサイトが多すぎる。所在地を表示するのは当然としても、 会社の沿革とか、代表者の経歴、学歴などを知りたいと思う客がどれだけいるだろうか。 その程度の情報しか発信するものがないのなら、ネットを使う意味はないだろう。
そもそもネットを使った営業活動というものに、筆者は否定的な考えを持っている。 もちろん私とて、ネットで買い物をすることは多々あるが、本当に大切な買い物を、ネットでしようとは思わない。 本当に欲しいものなら、何度も店頭に足を運び、手にとって比較検討しながら購入を決める。
物販ですらそうなのであるから、我々のようなノウハウやサービスを売る商売はなおさらである。 ホームページ上に書かれた情報だけで、善し悪しは判断できないであろう。
最近は、あらゆる業界において、価格破壊が進んでいる。我が業界でも、(1)迅速、(2)大量、(3)安価に 仕事をこなすことが必要と言われ、それに対応できない事務所は生き残れないとも言われている。 いわば、これらの条件を満たすことが至上命題なのだ。また、皆がそれを当たり前のように主張し、追随しようとしている。 しかし私は、このような風潮に、はっきりNOと言いたい。
冷静に考えれば、(1)迅速、(2)大量、(3)安価に処理した仕事が、いい仕事であるわけがない。 迅速かつ大量に処理する必要があるならば、相応の報酬を戴かない限り、高いクオリティは保証できない。 アルバイトにワープロ打ちを任せて、自分は軽くチェックするだけ、というような仕事はしたくない。 私は、鑑定書の文章の一つ一つにまで、心血を注ぎたい。
そんな時代錯誤の事務所には仕事を発注できない、と言われるならば、私はむしろこちらからお断りする。
こんな考え方であるから、私はネット上で広告宣伝などしたくない、と思うのだ。もし、営業用ページを作ったとしたら、 次のようなことを書いてしまいそうである。
・当事務所は、安かろう悪かろうの仕事はしません。
・価格競争には一切、与しません。
・時間的余裕がなく、成果物の品質が保てないと判断される場合には、依頼をお断りします。
事業者としては失格かもしれないが、私はこのような考え方なので、 ネットで安易に顧客を募るという方法は取らないのだ(※注1)。
おそらく傲慢と言われるだろうが、それでよい。そんな考えでは取り残されると言われるだろうが、 取り残されてかまわない。士(さむらい)としての志や誇り(*追記)を捨ててまで、営業活動をしようとは思わない。 あくまでも仕事の中身で判断して頂きたい、と思うのだ。
ネット社会が進めば進むほど、顧客側の選択肢は広がるが、本当に貴重な情報は、 それなりの労力と対価を払わなければ得られない。これは時代を超えた真実である。 それどころか、情報化が進むほど、この傾向は強まる(※注2)。
安易な迅速化、大規模化、低価格化に陥れば、事業者側も顧客側も大切な利益を失うだろう。 昨今の世の中の風潮に、少なからぬ危機感を感じているので、あえて今、身の程知らずなことを主張する次第である。 各方面のご叱責をお待ちしている。
2003年4月5日
※注1:とはいえ、こんな筆者のもとにも、まれに取材の申し込みとか、相談、依頼のメールをいただくことがあり、 当方が関西を地盤としていることをご存知ない方も多い。ネット上の営業活動も必要なのかな、と考えさせられる一面である。 また、誤解のないように申し添えるが、会社案内のようなページを作ること自体を、筆者は否定するものではない。実は私とて、 事務所案内のページを途中まで作りかけて、「面白くない。ガラでもない。」と思って中断した経緯がある。 しかし、今後考えが変わるかもしれない。
※注2:「情報化社会だから、ネットでどんな情報も得られる。」「足で情報を稼ぐというのは時代遅れだ。」 などという主張は、情報の価値を理解していないものである。ネットで得られる情報など、ほとんど価値はない(有益でないという意味ではない)。 もちろん居ながらにして得られる情報は貴重だが、本や新聞を丹念に読み、常にアンテナを巡らす程度のことをしない人間が、 情報の選別ができるとは思えないのである。
*追記:思わず文章の勢いでこのような表現を取ってしまったが、資格や肩書き等それ自体価値のないものを拠り所とするような考え方は、 実は私の最も忌み嫌うところである。「士」だから誇りを持つのではない。仕事をする以上、常に自らに誇りを持てるような仕事をしたいと思うのだ。 確かに資格や肩書きはアイデンティティではあるが、そこに誇りを感じ始めたときから、堕落が始まっていると自戒すべきである。
2003年4月16日追記