No.43 地価公示価格に対する誤解
最近、新聞、雑誌等で地価公示制度(※注1)に対する批判記事が散見される。 それらの中には、一考に値する意見もなくはないが、ほとんどが制度趣旨に対する無理解あるいは 意図的に曲解したような一方的な暴論である。 ここでは、その典型例を取り上げ、一連の公示価格批判の浅薄さを指摘する。
暴論1:実際には建物の建っている土地なのに更地評価しているのはおかしいという意見
建物があるのに、それがないものとして評価することを、独立鑑定評価という。その目的は、 現実の建物の収益力や効率性に左右されずに、 土地の持つポテンシャルを正しく評価することである。
もし、現状有姿を前提に評価すると、その建物の収益力の如何によって価格が左右されるから、例えば10階建が可能な土地に 平家建が存在すると、不当に安い地価が算出される可能性がある。地価公示制度の目的は、土地の持つ適正な経済価値を示すことであるから、 現状建物によって価格が左右されては困る(※注2)。だから独立鑑定評価をしなくてはならないのだ。
地価公示の標準地(※注3)に選定されているのは、基本的に最有効使用(※注4)の土地であるから、 もし現状建物を所与としてその土地部分のみを評価(このような評価を、部分鑑定評価という)したとしても、ほとんどの場合、 結果的に更地価格に等しくなると思われるので、そもそもこのような批判は無意味である。批判のための批判と言えるだろう。 あるいは、真剣におかしいと思って批判しているとしたら、単なる知識不足に過ぎない。
評価理論のイロハも勉強しないで、あるいは正しい理論を知っているプロに取材もしないで、 ただ知識のない一般読者に対してインパクトのある記事を書くことに狂奔しているとしたら、 大新聞だろうが大出版社だろうが、程度が低いと言わなければならない。
暴論2:公示価格は実勢を表していないという意見
モノの値動きには、短期的かつ局地的な市場環境を反映した小刻みな価格変動と、 それらを包含してより大きな(滑らかな)価格変動とがある。仮に前者を短期均衡価格と呼び、 後者を長期均衡価格と呼ぶとすると、市場の安定化に寄与する価格指標は、後者の長期均衡価格である。
特に不動産に関しては、供給量が限定的であり、そもそも同じ不動産が2つと存在しないことや、 市場動向によって需要が大きく変動することなどに加え、当事者の事情や思惑がからんで実際の取引価格のバラツキは大きい。 昨今のように、広範囲で投げ売りあるいは買い叩き現象が横行しているような市場環境に振り回されることは、 かのバブル現象に振り回されたことと同じ愚行である。価格指標は、そのようなものであってはならない。
過去から将来への長期系列でマクロ的に見た価格=長期均衡価格こそ、指標として求められるのであって、 短期的な市場でそれに沿わない取引価格が散見されるからといって、指標の有効性を否定するのは、いかにも近視眼的である。
暴論3:公示価格は収益価格を考慮せず、取引事例比較法だけで決めているという意見
最近商業地に関しては、収益価格と取引事例比較法による比準価格が極めて接近して求められる地点が増えている ので、実際、両者ともに重視して価格決定されているはずである。
一方、住宅地に関しては、賃貸マンションの立地可能な地点で、そのような収益性を重視して不動産売買が行われている地域であれば、 当然収益価格は重要な指標となるが、戸建住宅が標準的な地域の場合、収益還元法はほとんど考慮されない。 もし、そのことに関して批判があるとすると、それは批判者が評価理論を理解していないだけだ。
低層住宅地での土地取引は、買主が賃貸収入を基準に買っているわけではないのだから、収益価格を算出すること自体、意味が希薄である。 例えば、現実の取引価格が坪100万円以上の地点でも、収益価格は坪10万円以下というのも別に珍しくない。 そのような場合、比準価格だけが有力な指標である。そもそも賃貸収入をもくろんで取引しているわけではないのだから、当然である。 そのような地点まで、収益還元法を重視せよというのは、あまりにも価格メカニズムを知らない幼稚な議論である。 もし収益価格だけで値づけせよとなると、日本有数の高級住宅街など、ほとんどタダに近くなる地点が多いだろう(※注5)。
実際に収益性が重視されて売買されている地点については、当然収益価格を重視して価格決定している。 一方、収益性は顧みずに売買されるのが普通である地点については、当然収益価格は考慮せず価格決定している。 これが事実である。
暴論4:収益還元法で採用している利回りが低すぎ、純収益が将来上昇してゆくことを前提にしているのはおかしいという意見
これに関しては、当サイトでこれまで何度か取りあげてきた。利回りが低いという意見は、主に短期投資の場合の利回りとの混同による 誤解であるし、純収益の上昇予測に関する批判も、DCF法的な評価の中での短期の賃料動向を前提とする将来予測と、 無期還元(永久還元)における超長期の将来予測との議論の混同による単純な誤りである(例えば、 No.12 いまだに横行するDCF法の礼賛、 No.38 収益還元法と将来予測などを参照)。
暴論5:価格は市場が決めるのであって、そもそも評価など必要ないという意見
市場はしばしば過ちを犯す。どんなに市場が暴走しようが、またバブルのようなことが発生しようがかまわない、 という市場原理主義に徹すればそれでいいという意見もありうる。確かに、工業製品のように均一の品質を備えたモノが 無数に生産可能であれば、市場メカニズムはうまく機能し、一時の混乱もすぐに収まるであろう。 しかし、不動産は同じものが2つとない。市場で比較可能なのは、常に"類似"物件であって、"同一"物件でない。 そのような財に関して自由放任を貫くと、誤った価値判断が行われる危険性は大である(※注6)。
「中立的な指標といいながら、鑑定士は地価バブルを抑止できなかったではないか」という批判があるが、 当時、公示価格では安すぎて実際に買うことができない(つまりもっと高く評価しろ)と叩いたのは、マスコミを初めとする世論であった。 そして今、公示価格は高すぎるという声が聞こえる。 そのときどきの風潮で短絡的に批判し、状況が変われば反対のこと(短期変動を是認したり、反対に抑制を期待したり) を言い放つ無責任さは、いい加減にしてもらいたい。
もし、完全に市場原理主義に徹するのならば、短期的かつ異常な市場環境によって価格が乱高下することも、 投機買いが横行することも、買い叩きが横行することも、すべて容認して、濁流に身を任せるしかない。 一方、そのような混乱をできるだけ制することのできる羅針盤が必要だと考えるのであれば、長期的視野に立った指標を構築しなければならない。 どちらに拠って立つべきか。国全体が、という大きな話ではない。各自がどちらのスタンスを取るのか。 それをはっきりした上で、発言してもらいたい。私は、不動産鑑定士として、後者の立場を取る。 もちろん短期的な状況を反映した価格や、特定当事者の事情を考慮した価格も算出することはできるが、 それはコンサルティングとして行うべきで、指標にはなり得ない。
我々鑑定士の中にも、長期的視野に立つのか、そのときどきの世論に迎合するのか、よくスタンスの分からない人が多い。 もしかすると我々のそういった無定見さを、マスコミは批判しているのかもしれない(※注7)。そうだとするなら、感謝しなくてはならないだろう。
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私が常々問題だと思っているのは、知識のない人たちからの安易な批判ではなく (どんなに子供じみた意見でも、発言の場が与えられるのが、言論の自由の保障であり、それは大切なことである)、 そのような批判に対して、 表立って反論しない、我が業界のスタンスである。バカらしくて反論する気にもなれない というのが本音だとしても(あるいは素直に自分を省みたら、反論できないのか。そうだとすると、大問題だが)、 言わぬが華という日本古来の美徳は、この情報過多の時代にはもはや通用しない。 反論しなければ、意見はないものとみなされると思わなくてはならない。
私がこのサイトを立ち上げたのは、そういった危機感に苛まれたからにほかならない。 今後も、自身の未熟さを省みずに、業界内外からの批判を恐れずに、主張してゆきたい。
2003年8月6日
※注1:地価公示法第2条の規定により、国土交通省土地鑑定委員会が毎年1回行っている全国の土地価格の公表で、 具体的には、全国の不動産鑑定士(及び不動産鑑定士補)がその評価を担当している。 毎年1月1日時点の単位面積あたりの土地の正常な価格を公示することを目的としている。
※注2:このようなことを書くと、鑑定士はいまだに土地本位の考えから脱却していない、などという トンチンカンな反応が返ってくる。土地は単体で収益を生むものではないから、その上にどんな建物が建つかが重要である。 不動産の価値は、建物と土地が一体となって生み出す収益を裏付けとするものであるからこそ、 現実の利用方法に惑わされずに、その土地の持つ本来の力を見極めた上で、実行可能な最良の投資としての建物建設を前提として 評価すべきである。更地評価とは、そのように最良の投資を前提とする評価なのである。ただ、最良といっても、 法令制限いっぱいの建物ボリュームを前提とせよということではない。そのときどきの需給バランスを勘案して、 実行可能な想定でなければ意味がない。許容される容積率いっぱいに想定することが最有効使用だと思っている人があるが、 それは誤りである。
※注3:標準地とは、地価公示法第3条の規定によって選定される公示価格を発表すべき地点のこと。
※注4:不動産の価格は、その不動産の現実の利用状況のみによって決まるのではなく、 その不動産の持っている潜在力を正しく反映して評価されなければならない。
最有効使用とは、不動産鑑定評価基準では、"その不動産の効用が最高度に発揮される可能性に最も富む使用"であり、 "現実の社会経済情勢の下で客観的に見て、良識と通常の使用能力を持つ人による合理的かつ合法的な最高最善の使用方法"と説明されている。
※注5:住宅地の取引価格には、賃料として金銭換算できる効用よりも、所有による心的満足度とか、 一種のステータスシンボル的意味合いがより多く含まれている。従って、それらを数値化できない以上、 収益還元法による収益価格は低廉となる。それらの効用を総合的に数値化できる"心的効用還元法"なるものが確立できれば、 それによって価格を説明できるようになるだろう。収益還元法は、究極的にはそこまで進化させるべきだろう (実はこのあたりは、私の今後の重要な研究課題のひとつなのだ)。
なお、住宅地の収益価格が非常に低いというのは、商業地等と類似した利回りを採用しているからであって、 極めて低い利回りを採用すれば、当然収益価格は高くなる。実はそれが正解なのかもしれない。
※注6:市場メカニズムによって効率的配分が達成されるのは、需要と供給が無数に存在する完全競争市場である。 不動産市場に関しては、個々の不動産は供給者独占の状態であり、同一用途による代替可能性を考慮してもなお、供給は需要に比べ硬直的である。
※注7:当コラムのこのような主張に対しては、同業の鑑定士の方々からも異論があろうかと思う。 あくまでも私が個人の名において表明する意見に過ぎない。また、日本不動産鑑定協会等で所属している委員会その他の組織や、 公的な立場とも一切関係がない。
なお、私も含め、挑発的な新聞記事等に対して行った抗議が、新聞社等から完全黙殺された経験を持つ鑑定士は少なくないと思う。 何も言っていないのではなく、言わせてもらえないのだ。新聞社はリベラリズムよりも商的ニュースバリューを大切にするのかと思うと悲しくなる。