No.47 大新聞による地価公示批判の誤りを指摘する
本稿は、No.43 地価公示価格に対する誤解の姉妹編である。必要に応じて引用しながら筆を進める。
地価公示は国の制度であるが、その具体的実務を担っているのは我々不動産鑑定士である。独立した専門職業人という立場でありながら、 いわば公共事業の一端を請け負っているのであるから、その遂行には公平性の確保や、説明責任を果たすことが当然求められる。従って、 業務内容に未熟な点があれば、当然改めなければならないし、常に精度向上に努める義務があり、独善に陥ってはならない。 よって、世間の批判や適切な指摘には真摯に耳を傾けなければならない。
しかしながら、近時散見される新聞による鑑定批判あるいは地価公示批判には、事実誤認に基づくものが少なくない。これに対しては、きっちりと反論する必要がある。
新聞は、その影響力の大きさを考えても、事実を正しく報道すべき義務があるのは言うまでもないが、 その絶大なる信用力のゆえに、事実と異なる報道をした場合でも、人々にそれを正しいものと信じ込ませる力を持っている。
地価公示制度をめぐる一連のマスコミ報道に多くの誤りがあることは、No43において既に指摘したところであるが、 本稿では、その典型例を具体的に挙げてゆきたい。
1.日本経済新聞 2003年6月22日 Sunday Nikkei 「地方を直撃、公示地価の虚構」
(1)地方では評価の参考とする取引事例が極端に少なく、実勢とのかい離をひきおこしているという指摘
事例が少なければ、評価の精度を上げることができない。これは事実である。新聞が書いているように、 『高かった前年までの水準から大きく逸脱した値付けができない』というのも、あながち嘘ではない。
鑑定が実証分析である以上、データに基づかずムードだけで値付けをするようなことは許されない。 新しい情報が少ない場合に下される最も合理的な判断とは、過去のトレンドから大きく逸脱しないことである。 それは無責任な態度でも、分析の放棄でもない。不動産の価格流列というのは、計量経済学的あるいは統計学的に言えば、 経路依存的なデータ(自己回帰モデルとして表現できる)と言えるから、過去の経路が将来予測のための有力な判断材料となるのである。
ところで、事例が極端に少ないから実勢かい離をおこすという言説は、実は自己矛盾していること(言いかえれば、言語が破綻していること) を指摘しておきたい。
そもそも実勢とは何だろう。相場と言いかえてもよいが、それは、同種の財を多くの人たちが売買することによって取引価格が ある数値を中心に分布するようになり、それを人々が認知することによって成立する概念だ。 ならば、取引の実例が極端に少ない場合、そもそも「実勢」とか「相場」という概念は存立しない。たまたま発生した売買は、 個別事情を反映しているので、それをもって言下に正しい価格だとは判断できないはずだ。
「公示価格の実勢かい離」という言葉は、安く買いたい人、高く売りたい人が思惑に合わないときに使っていることが多い。 この点、No43で書いたとおり、バブル期には公示価格が安すぎるという批判があったことを見れば、明らかである。
(2)更地主義に立っているから価格が過大になるという意見
これに関しても、No43で詳しく述べたが、地価公示の制度主旨から、 現状建物の建っている土地でも、その状態を所与として評価してはいけないことは自明である。現在たまたま不経済な建物が存在する土地をそのまま評価すれば、 不当に安い金額しか出てこない。この点に単純な誤解があるとしても、問題なのは次の点である。
『築三十年の老朽化したビルでも、更地にして建ぺい率と容積率上限のビルを建てたと仮定して収益を弾く。(中略)そんな大きなビルを建てても地方では それほど入居者がいるわけではない。』との文章は、明らかに評価を知らない素人の言説である。
地価公示が更地評価で、土地の潜在力を評価する目的であるからといって、常に建ぺい率、容積率上限のビルを想定すべきなのではない。 その地域の需給関係に照らして建物ボリュームを決めるのであり、需要の乏しい地域では容積率を余らせた想定も当然ありうる。それが、鑑定理論で言うところの 最有効使用だからだ。ただし、現在の状況だけを近視眼的に捉えてはいけない。建物の存続期間は30年や40年にも及ぶのだから、 長期的視野に立ったボリューム設定と、現在の市況を十分反映した賃料設定とが必要となる。 いずれにせよ新聞が書いているような過大想定は、最有効使用とは言えないし、我々はそんな評価をしていない。
(3)密室の調整作業によって、地価の地域バランスが意図的に保たれているという指摘
ある地方都市では、駅東側には賑わいが残り、西側は百貨店の撤退によりいわゆるシャッター通りとなっているのに、 公示価格の下落率にほとんど差がないという事実を指摘し、これは密室でのバランス調整の結果だと新聞は書いている。
まず、調整作業という点については、もしそれが作為的に地価を高止まらせようという目的で行われているとすれば、 決して許されることではない。反面、地域バランスというものをまったく無視し、現在の短期的な経済状況だけを見て、 空家の目立つ地区は下落率を他地区の倍、などとすることも、また不当である。たまたま現れた買い叩き事例が、 これまでの半値だからといって、それで相場が半値に下がったなどとは言えないのである。
現在の地方都市のように、負のバブルとも言える状況下では、店舗の撤退などによって、目に見える形で経済弱体化が進んでいる地域もある。 しかし、それが今後も続くかどうかの判断には、相当な注意を要する。
同一都市内、同一駅周辺等において合理的な価格バランスを検討することは、 特に取引事例が少ない状況下では必要なことである。それはあくまでも、適正価格を求めるという目的のためである。 それが、サンプルが少なくても、何とかして母集団の推定を行わなければならない鑑定の宿命である。 新聞が述べるように、 『全国の地価体系を崩さないように』とか、『税収の減少を食い止めるために』といった"配慮"によって、意図的に地価を高止まらせるようなことは、 無論許されることではない。そもそも、そんなことをする必要もないし、そんなことをしても我々は何の得にもならない、と申し上げておく。 税額算定のベースとなっているからこそ、不公平を招来しないための適正な評価が求められるのである。
(4)安易な鑑定手法が業界に蔓延しているという指摘
『仕事がパターン化されており、コンピュータ上の書式に取引事例などを入力すれば、自動的に価格が算出される』と新聞は書くが、 そんな便利な機械があったら、教えて欲しい。事例を分析して、適正な価格を導き出すプロセスこそが鑑定の肝の部分なのであり、 その判断が委ねられているのが鑑定士なのだと私は自覚している。
新聞の指摘が、面倒な計算をパソコンに任せている事実のことを言っているのだとしたら、その程度の合理化、OA化は、 行っていない方がおかしいのであり、よほど信頼性が低いであろう。 反面、専門家としての判断を放棄して、すべて機械に放り込むだけで事足れりとする鑑定士がいたとすれば、 業務を受託する資格はない。直ちに解任すべきであろう。
2.毎日新聞 2003年9月19日 毎日の視点(社説) 「地価公示制度、土地神話時代の遺物なのだ」
(1)既に土地は収益還元の発想で取引されるようになっているのに、地価公示制度は意図的に相場を作っているという意見
まずここに、多くのマスコミや識者といわれる人たちが陥っている"収益還元至上主義"が見て取れることを指摘しておきたい。
すべての土地が、投資採算性だけで取引されているわけではない。投資採算性で取引されている土地については、 鑑定においても当然収益価格が標準となる。住宅地の多く(開発適地を除く)は、収益性をほとんど無視して取引されていることが多いから、 収益還元法を適用すること自体、意味が希薄であると言える。この点はNo43においても述べた。
このような峻別をせず、すべての土地を一律に収益還元的に評価せよというのは、暴論以外の何物でもない。 ただ、投資採算性が重視される商業地で、収益価格を無視してそれよりも高い価格が意図的に設定されるようなことは、あってはならない。 意図的に行わないまでも、鑑定士の判断ミスによってそのような結果が出ている地点がもしあるとすれば、それは改善されなければならない。
(2)地価公示制度が更地信仰の基盤になっているという意見
『地価公示制度のもう一つの弊害は、更地信仰の基盤となっていることだ。』と新聞は書く。もう、発想が幼稚すぎて、何をか言わんやである。
地価公示の更地評価に対する不当な批判については、上記1.(2)に既に書いたが、ここでは地価公示における更地評価と、世間における更地信仰とが 混同されている。この点に関しては、大野喜久之輔・神戸大学名誉教授による次の文章を紹介しておきたい。
『毎日新聞の社説は、国民一般における事実上の更地主義と地価公示上の要請としての更地主義とを混同し、前者を後者のせいにしている点で 全く見当はずれであるといわざるを得ない。』(「転換期 不動産鑑定の課題<上>/月刊不動産鑑定2004年2月号/住宅新報社」)
国民一般における事実上の更地主義とは、過去の高度経済成長時代において、いわゆるスクラップ・アンド・ビルドが繰り返され、 更地こそが最高であるとする価値観が国民の間に醸成されてきた事実のことをさすが、 いまだにそれが払拭されないのは地価公示制度のためであると言わんばかりの論調は、手当たり次第にスケープ・ゴートを探し、 読者の溜飲を下げるネタ作りがしたかったとしか映らない。単に記者の勉強不足だと信じたいが、意図的に書いているとしたら、 このような煽り記事は、写真週刊誌と大差ないと申し上げておく。
国民一般における更地主義が徐々に解消され、土地の利用価値に焦点が移ってきたのは、私見によれば、 過去における土地神話やバブル現象に対する反省からではなく、単に経済が弱体化しているからに他ならない。 もし今後経済が順調に回復し、お金が回るようになってくれば、株や不動産に対する常軌を逸した投資行動が再燃する可能性は十分にある、 と私は見ている(既に近年、東京の一部の不動産に対して、そのような投資行動も見られる)。人間は何度も同じことを繰り返すのである。
「ようやく日本の不動産市場も、実需中心、収益重視の本来あるべき姿になった」という台詞は、 いかにもインテリ族が好みそうな高尚っぽい言い草だが、本当に理解して使っている主は少ない。
"収益"の中には、将来における転売期待も含まれるから、価格上昇期に利用価値ではなく転売利益をもくろんで不動産を購入することは、 まさに収益還元的に見て合理的な投資行動なのである。利用価値に主眼が置かれるようになったのは、 単に右肩下がり経済で転売利益が望めなくなったからに過ぎない。このあたりのメカニズムを、いったいどれだけの人が理解しているだろうか。 もし、収益還元が絶対的に正しいというなら、バブル的な投機行動はまさに正しく合理的な行動であると結論づけられなければならない。
毎日新聞が述べているように、『都市の美観にも潜在的な悪影響を与える更地主義』を払拭しようと思うのなら、 収益還元至上主義ではなく、むしろそれとは正反対の、「経済一辺倒抑制主義」を確立しなくてはならない。(※注)
その土地を建物敷地として利用することが、収益還元的価値判断からして最も合理的であったとしても、 あえて空地のままにする、あるいは平屋建を強制するくらいの思想がなければ、美観を守ったり、環境を保全することはできない。 そして、利用できない空地であるからこそ、その土地の価格は高いのだ、という収益還元とは180度違う価値観だって、成立しうるのだ。
マスコミ等が「収益還元」という言葉を使っているのを見聞きするたびに、「エコロジー」と言っておけば好意的に受け取られるはずだ といったさもしい根性と同じものが透けて見える。
収益還元ってどういうことなのか、ホントにお分かりですか??
2004年2月7日
※注: 収益には、インカムとキャピタル収益の2つがあるが、 それらを特に別物扱いしなければならない理由はない。もし、収益還元重視の主張が、前者だけを重視し、後者を排除すべきとする思想(つまり転売益をもくろんだ 投機的行動のみ悪とする思想)だとしても、経済価値至上主義であることに変わりはない。だから、その思想を貫いたところで、 街並みの保全にはつながらないことに注意したい。
環境の保全や、文化的遺産の承継を本気で考えるのであれば、欧州諸国のように、 経済的な不合理を強いてでも、建築規制を強化すべきである。環境を壊している元凶は、拝金主義なのである。
なお蛇足だが、キャピタルゲインをもくろんだ投機行動だけが異様に嫌悪されているのは、 この国にある不労所得を潔しとしない独特の倫理観が原因ではないかと思う。投機の利益は決して不労所得などではないのだけれども。