No.54 草の根からの日韓交流
昨年12月、見知らぬ方から1通のメールが届いた。
差出人は、ソウル在住の韓国人。 内容は、私の論文を先方サイトへ転載する許諾の要請だった (*1)。
無論、リンクであれば普通いちいち許諾を取ったりはしないだろうが (実際、私の文章は、かなり色んな所で引用されたり、リンクしてくださったりしている)、 私の論文を韓国語に翻訳して先方のサイトに既に掲載しているが、 もし不都合であれば削除するから、というようなお尋ねだった。
早速先方サイトを訪問してしてみると、確かに私の論文の韓国語訳とおぼしき文章が、 そこにはあった。といっても、私はまったくハングルが読めない。 なぜわかったかといえば、数式部分も当然のごとく、そっくりそのまま転載されているからだ。
プライバシーに関わるので詳しくは書けないが、彼は韓国の大学でマスターを修了した後、社会人経験をし、 これからまた欧州の大学でファイナンスを勉強する予定であるとのこと。 数理モデルを使って都市開発分野に関する論文を書いているのだという。
私のサイトの中で、特に不動産評価の理論とファイナンス理論を結びつけるという発想に 共感され、「多くの韓国人が貴方の論文を参考にしている」とまで言ってくださった。 無論、この分野に関しては専門の学者の方がたくさんおられるし、 私など所詮素人であるわけだが、 何より私が実務に根ざしたところで書いている点に、共感くださったのだろうと思う。
折しも近年、日本では「韓流ブーム」とかで、今やTVをつければ、 韓国人スターを見ない日はないほど。そうやって両国の文化が融合してゆくのは とても好ましいし、うれしいことでもある。
一方、領土問題など、いまだにぎくしゃくした部分もある。 私は、あまり政治的な部分には立ち入りたくないが、 日韓関係を考えるとき、知っておかなければいけないこともたくさんある(*2)。
しかし、一番大事なのは、現在の人と人との関係である。 どこに住んで、どんな言語を使い、どんな考えを持っていようとも、 お互いに尊敬しあえる人間関係を築くことができたら、壁などなくなる。 好きな人、尊敬する人が住む国ならば、当然好きになるはずだ。
学問とか趣味などを通じ、簡単に国境を越えて交流できるようになったのも、 インターネットのおかげだ。集団と集団でイデオロギーをぶつけ合うような 無益なことに時間を費やすのではなく、個人と個人で意見を交わし合い、 お互いを深く知ることこそ、これからの我々がなすべきことだと思う。
今月(2005年4月)の20〜21日に、日本と韓国の不動産鑑定士による合同会議 (日韓鑑定評価協力会議)が、大阪で開かれる。 そこで私は、日本代表スピーカーの1人に任命され、簡単な発表をさせていただくことに なっている。
同じ職業に従事する他国の人に会えるのはエキサイティングである。 普段海外に渡航するというのは、仕事の制約上無理であるから、こういう機会を大切にしたい。 お互いに刺激を与えあえる経験になれば、と思う。
よく、国際交流というと、「日本の良いところを知ってもらいたい」という人がいるが、 私はそれは違うと思う。「自分を知ってもらいたい」というのではなく、 「相手を知りたい」と思うところから、交流は始まる。
人間同士、相手を深く知れば、自ずと親近感が沸いてくるものだし、良いところを認識しあえるはずである(*3)。
2005年4月4日
*1:私はハングルが読めないから、もし韓国語で来たらまったくわからないところだが、 幸い英語でのやりとりだったので、どうにか意思疎通できた。
*2:先日TVを見ていたら、竹島問題に絡んで、ある政治家が、 「なんだかんだ言ったって、本当は日本人は韓国人が嫌いなんだよ。あんな韓国を好きだと言える人がいるんですか。」と息巻いていた。 どこの国だから好き・嫌いという発想がない私には、憤りを通り越して、同じ日本人として、悲しかった。
思想や表現の自由は守られなければいけないから、ああいうことを堂々と放送できる日本はいい国だが、 確実に品位は落としていると思う。と同時に、そういう発言をしてしまう人を、哀れな人だと思うし、 少なくとも政治家をさせるべきではないと、強く思う。*3:「あなたの発言はセンチメンタルに過ぎる」と、しばしば言われる。 確かにそうだと自分でも思うが、心の部分でつながっていさえすれば、 いさかいなどなくなると、私は信じている。それを「きれいごと」といって片付ける人のことを、 むしろ私はかわいそうだと思う。