No.55 日韓鑑定評価協力会議・参加報告



 本年4月20〜21日、大阪国際会議場にて「第4回日韓鑑定評価協力会議」が、日本不動産鑑定協会と韓国鑑定評価協会の共催により、行われた。

 20日は、歓迎レセプション。21日は、両協会会長による基調講演、エコノミスト齋藤精一郎氏による特別講演に続き、両国代表による研究発表が行われた。

 両国の用意したそれぞれの研究テーマ(1.情報化時代に対応した鑑定評価 2.動的DCF法)に沿い、2つの分科会に分かれての発表となったが、 私は、韓国側テーマ「動的DCF法」分科会で、 東京の小林秀二鑑定士 と共に、日本代表スピーカーを務めさせていただいた。なお、コーディネーターは韓国・江南大学校の盧教授、韓国側スピーカーは、林鑑定評価士と鄭鑑定評価士(韓国では「鑑定評価士」という国家資格名である)。

 さて、形式的な報告は、ここまでである。

 この会議に参加させていただいて(*1)私が感じたことを、以下、綴ってみたいと思う。

 韓国鑑定評価協会会長の金氏の最初の挨拶の中で、今両国の間には、領土問題や歴史教科書問題などがあり、協会の内部にも、今回訪日することに対する批判があったと、率直に言われた。 けれど、我々両協会の間には、同じ職業を通じた堅い結びつきがあり、これまで信頼関係を育んできた。両国の過去よりも、我々にはもっと大切な明日があると、とても力強い口調で、真っすぐ我々の方を見て、そう言ってくださった(*2)。

 逃げ腰になるのではなく、事態をしっかりと見据えた上で、だからこそ強固な結びつきが必要なんだというその姿勢には、私はとても感動し、共感した。 もちろん、両国参加者の中には、私のように共感した方ばかりとは限らず、もしかすると反発を感じた方もあったかもしれない。だが、それでいいのだ。

 場の雰囲気を乱さないように、通り一遍のことしか言わない間柄を、友人関係とは言わない。思っていることを率直に言い合うことが、相互理解の第一歩だ。その上で、お互いを認め合うことができるかどうか。その試練を越えないと、真の交流は成立しない。

 今回びっくりしたことの一つは、一生懸命日本語を勉強して来られた方が、少なくなかったという点だ(*3)。日本語で、かなり我々と意思疎通できるほどの方もおられたが、基本的にはお互いの母国語ではない英語で会話をした。 それもお互い当然ながら拙い英語だから、なかなか思ったことのすべてをうまく伝えられない。でも、そんなふうにして相手の真意を必死になって忖度しあうことで、気持ちは急速に近くなっていったように思う。

 専門の鑑定評価や、あるいは不動産全般をめぐる昨今の状況が、日韓でとても似通っているという事実を知ったことも、大きな収穫だった。不動産評価手法の中で収益還元法がかなり幅をきかせるようになってきたこと。 しかしながら、評価に必要なデータベースがまだ十分に構築されているとは言えないこと。公示価格に関して、世間から色々と言われることが少なくないこと。 今回のテーマの一つ「動的DCF法」は実際に使われることは少なく、鑑定評価士の中でもちゃんと理解している人は少ないということ・・等々。

 韓国はPCが進んでいるから情報処理分野では一日の長があるのではないか?と私は思っていたが、データが十分とは言えないから仕事の精度も上げられないという所で悩んでいるのは、日本と全く同じだ。

 ソウル市では不動産バブルのような状況が起こっている(現在の東京などよりもっとすごいらしい)と聞くが、それはあくまでも都会だけの話で、全国的に不動産市況が良いわけではないそうだ。多極化というキーワードも、両国で共通のようだ。

 今回の交流を通じ、隣国の同じ職業の人たちだから、やはり同じような悩みや問題意識を持っているということが確認できた。 しかし、韓国の鑑定評価士の皆さんが自分の職業に対して強い自信と大きな誇りを持っているように見えた一方で、日本の不動産鑑定士の方には相対的にあまりエネルギーを感じなかったのが、私の思い過ごしであるといいのだけれど・・。


2005年5月24日


*1:「参加させていただいて」と書いたが、正直に告白すれば、最初は、無理やり参加させられたといった気分だった。関係者の皆さん、ごめんなさい。でも、結果的にとても有意義だったと思っています。

*2:それにしても、最後の内輪の飲み会で、一気飲みを強要して、はしゃいでいた姿を忘れませんよ、金先生・・。

*3:もちろん過去の歴史のために日本語が流暢な年配者というのではなく、若い方が積極的に日本語を学んで来られたことに、私は胸を打たれた。一方、私はといえば、挨拶と自己紹介と「大阪へようこそ」のフレーズだけ、なんとか韓国語を覚えていったにすぎない。完敗である。