No.61 「収益還元法の危うさ」が理解され始めた
〜週刊エコノミスト2007年5月29日号の記事について〜
当サイトのコラムNo.60では、週刊エコノミスト(毎日新聞社)2007年2月20日号 に掲載された外資系証券会社アナリスト氏の寄稿「証券化と収益還元法が支える活況」を取り上げ、 そこで展開されている収益還元法礼賛の論調について批判した。
同雑誌記事は特異なものというわけではなく、近年不動産評価を巡っては、 収益還元法が最も理論的で信頼性の高い手法であるという主張が、そこかしこでなされている。
当サイトでは一貫して、そのような主張の危うさ、おかしさを指摘してきた。 安易な収益還元法至上論の誤りを指摘し続けたいという思いが、 当サイト運営の強い動機になっていると言ってもいい(※注1)。
今回、同じ週刊エコノミスト(2007年5月29日号)に、 かねてからの私の主張に近い記事が掲載された。 『J−REIT「収益還元法」の危うさ』と題する寄稿(アイビー総研代表取締役、関大介氏) がそれである。
同記事では、大手不動産会社系REITの保有不動産の直近鑑定価格と当該物件の取得価格とを対比し、 2割程度価格が上昇していることを示し、その陰には収益還元法という評価手法の危うさが潜んでいることを指摘している。
記事でも指摘されているとおり、J−REITの物件取得時には不動産鑑定士による鑑定評価が義務づけられており、 必ずしも鑑定価格で取得しなければならないわけではないものの、実際には、鑑定価格と取得価格が同額となっているケースが多い。 取得後の時価の鑑定価格が取得価格を大きく上回っていることは、同一物件に対する評価額そのものが 上昇していることを示している。
REITの評価は収益還元法(DCF法)を主体として行われていることから、 評価額が上昇するためには、当該物件の予想キャッシュフロー(転売収益含む)が増加するか、 割引率が低下するかのいずれか(あるいは両方)の条件が必要である。
不動産から得られるキャッシュフロー(CF)は、賃料収入を元手とするので、 一般物価が力強く上昇しているか、あるいはその物件に対する需要が力強く伸びているなどの明白な 理由があれば、CFの顕著な上昇も肯定される。一方、割引率は、金利環境に左右されるとはいえ、 不動産リスクプレミアムが短期間で急激に変化することは、通常考えられないため、 割引率の急速な変化は肯定しがたい。
収益還元法で肝要な点は、これらのパラメータ(CF、割引率等)に関する数値設定の妥当性の確保 に尽きるが、これらはいわばブラックボックスの中にあると言っていい。
同記事で「市場に迎合した物件取得の危うさ」として指摘しているように (当サイトでもコラムNo.60等で指摘しているように)、近年、主要国のREIT利回りが その国の国債とほぼ同水準であるのに、日本ではまだ乖離(イールドギャップ)があるという点を材料視し、 まだ不動産価格には上昇の余地があるとの主張がまかり通っている。
また、そのようにつり上がった売買価格が、更なる高値取得(より低いキャップレート)を正当化する理由として用いられている。 つまり、自分たちで高く買っておいて、「ほら、みんな高値で買っているから大丈夫」と言っているのに等しい。 こんな行為が繰り返されれば、いくらで買っても異常ではないということになってしまう。
そこで、高く売買したい人たちが持ち出したのが、「収益還元法で評価しているから大丈夫」 という理屈である。それはまるで、収益還元法と言っておけば一般人には理解不能だから、 少々無茶をしても批判されることはあるまいと考えているかのようである。
収益還元法が、いかに恣意性の介入しやすい危うい手法であるかという指摘は、 不動産市況の過熱状況に水を差しかねない主張であるために、これまで マスコミ受けがすこぶる悪かった。 特に経済雑誌は、経済界から嫌われては商売にならないので、 当サイトのコラムNo.60で取り上げたような収益還元法礼賛記事が幅を利かせ、 そのような文章を書くアナリストが重宝されてきた。
今回、同じ雑誌でいわば180度違う主張が取り上げられたということは、 市場で既に先行きに対する相当な危機感が広がっていることを示しているとも言える。
"心ある"鑑定士ならば、「欧米ではもはやイールドギャップはゼロあるいはマイナスの所もあるのだから、 東京のキャップレートが2%でもぜんぜんおかしくないはずだ」などといった煽りには乗らないはずである。 もし、これを断ると仕事がもらえなくなるという恐怖から不当な鑑定を引き受けるなら、 それは構造計算書を偽造した建築士と同罪である。
そもそもキャップレート低下の大きな理由は、将来への期待キャピタルゲイン率(元本価格上昇率) の上昇にある。建物は適切な維持管理をしたとしても、時間と共に基本的には価格下落するはずであるから、 大幅なキャピタルゲインの容認は、地価上昇の安易な肯定と同義である。
今回の記事や、同じ雑誌の他の記事でも、イールドギャップについて触れられてはいるものの(※注2)、 少々説明不足であったり誤りも見られるので、補足しておきたいが、 投資リスクを表しているのはキャップレート(=インカムゲイン率)ではなくて、 割引率(=総合収益率)であるから、異なる資産の間でリスクの比較をするなら割引率で行わなければ ならない。
上述のとおりキャップレートは投資家の期待キャピタルゲイン率の如何によって容易に 変化しうるので、投資家がどういうCFの流列とキャピタルゲインを見込んでいるかを見、 そこから導かれる割引率(総合収益率)が当該資産のボラティリティに見合っているか(言い換えれば、 見込んでいるリスクプレミアムの妥当性)を見極めた上で、CFやキャピタルゲイン予測の妥当性を検討しなければならないのである。
キャップレートとかイールドギャップといった、 いかにも専門的に聞こえる単語を持ち出している文章は、 それらの用語が正しく理解され、用いられているかを吟味しなければいけない。
ともあれ、これまでなら黙殺されていた正論が今回のように著名雑誌に取り上げられるようになったことは、 投資市場の健全な育成にとっても好ましいことである。
2007年5月22日
※注1:私が色々な所で収益還元法の危うさについて力説すると、 「あなたは収益還元法の推進者かと思っていたが、実はそうではなかったんですね」といった 反応をいただくことがある。確かに当サイトでは、収益還元法についての論考が多く、 金融工学との融合も提唱してきた。しかしそれは、収益還元法という「一つの道具」を用いるなら、 より客観的かつ説得力のある方法を取らねばならないと警告したいがためである。
私は断じて収益還元教の宣教師ではないけれども、収益還元法など使えないと主張する者でもない。 単なる一つのテクニックに過ぎないものを神格化したり、不用意に過信したりする風潮を見過ごせないだけである。 道具は道具として、限界を理解した上で利用すべきなのである。※注2:例えば同誌の25ページに、 『キャップレートの低下から「バブル」との声は根強くあるが、 長期金利とのイールドギャップが確保されている限りは、市場は正常だと言える。』と断言する くだりがあるが、これは非常に危険な発想である。 たとえ見かけ上のキャップレートが長期金利を上回っているとしても、 そこで想定されている期待キャピタルゲイン率や期待CF成長率が、 実現困難な高水準であるなら、健全な投資とは言えないのである。 昨今、大都市部で地価が継続的に大幅上昇しているからといって、 こんな状況が今後もずっと続くことは考えにくい。 大幅成長を無邪気に信じて低いキャップレートを容認するのは、 博打にも等しい行為である。