No.64 変わり映えしない地価公示批判
先日、不動産鑑定士 森島信夫氏による「鄙からの発信」 にも取り上げられていたが、朝日新聞社発行のAERA3月30日号に "「公示地価」不信 これだけの理由"と題する記事(同誌P.19)があった。
内容の詳細については、上記森島氏のサイトで既に説明されているので割愛するが、 同誌編集部・土屋亮氏によるその記事で展開されている地価公示批判は、 基本的にこれまで色々な雑誌で(AERAでは以前から同様の記事が掲載されており、 当サイトでもその誤りを指摘したことがある)繰り返されてきた幼稚な批判と大差ないものである。
ただ、見せ方が変わったなと思うのは、複数の「不動産鑑定士の声」をちりばめてあるところだ。 「地価公示に携わっている不動産鑑定士自身ですら、不信感を表明している。だから信頼できない」 というわけだ。
これまで色々な地価公示批判を見てきたが、批判者は、大きく分けると次の2タイプだ。
1.地価公示制度に対する正しい理解がない。つまり、無知や事実誤認に基づき、妙な正義感で制度批判をするタイプ。
2.自分たちの商売(金儲け)にとって地価公示制度が邪魔となるため、批判のための批判をするタイプ。
上記のうち1.のタイプは、公示価格が更地で評価されていることがおかしいという声(もちろん、 制度を正しく知れば、更地評価をしなければならないことは、容易にわかることである)や、 収益還元法が軽視されているといった声(商業地で収益価格が重視されるべきことは当然であるが、 収益で価格形成されていない住宅地においても収益価格を重視せよと言うのは、評価理論を知らない戯言である) などがこれに当たる。
上記2.のタイプは、主に「最先端」で多額の資金を動かしている自称不動産プレーヤーや、 老舗の大手不動産会社の主要ポストにいる人たちなどに多いが、 「実勢」をタイムリーに反映しない地価公示は、不動産取引の妨げになるといった声だ (本音はもちろん、上がっているときはどんどん上げてくれないと、儲からないではないか、ということ)。
制度に対する無知については、我々がもっと積極的に世間に説明してゆく責任があると思うので、 こちらからもっと声を上げることによって、事態は改善されてゆく余地はある。一方、 最初から批判が目的の人たちは、本当のことに対して聞く耳を持たないから、正攻法で言っても無駄である (地価公示制度に対する典型的な誤解については、当サイト内のコラム No.43、No.47、No.49 などを参照されたい)。
鑑定士は現場を知らない、現場の声を聞こうとしない、だから相場を知らないといった 批判も絶えないのだが、"振幅"の大きな現場の声だけをすくい上げて、 昨年より倍になった、半分になったと騒ぎ立てる素人記事のほうがむしろ罪深い。
不動産鑑定をしていると、クライアントから「業者ヒアリング」をしてほしいと言われることがあり、 私も取引業者の方に意見を聞いたりすることはあるが、私は基本的にあまり意味のないことではないかと思っている。
べつに取引業者の方を軽く見るつもりは毛頭無いが、取引の現場では、 上がるときは急速に高くなった実感があり、下がるときはジェットコースターのように落ちこむ実感がある。 だから、つい「3ヶ月で半値になった」などといった声も出てくる。ところが、重要なのは、その頂点の価格や、 谷底の価格が、どういう需給関係のもとで、どういう取引当事者が、どういう思惑や事情を持って取引したか ということである。それを捉え、傾向を捕まえ、異常な数値を排斥するためには、個々の取引をミクロ的に見ているだけではだめで、 データを多数集めて、マクロ的に分析する必要がある。
不動産鑑定士の中にも、「業者意見ではこのくらい」といったことを強調する人があるが、 たった4人や5人に聞いて回ったところで、それはその発言者の個人的意見なのである。 ヒアリングをするのなら、市内の全業者にアンケートをとるか、 統計的に意味のある結果となるように、ヒアリング先を無作為に抽出する必要がある。 以前からつきあいのある人に聞いたとか、たまたま駅前にあったので飛び込んで聞いた、 といったたぐいの行動は、まったく無意味であると私は思う。
だから私がヒアリングをかけるときは、「火事はなかったか」「空き巣はなかったか」 といった、地元の人にしかわからないような情報を聞く。間違っても「坪いくらですか」 なんてことは聞かない(他でデータがとれる場合)。
鑑定士はマクロ的な経済分析をして、 市場を総体的に捉えた上で対象不動産の価格のあり所を探るのが仕事であって、 そのためには、足元で起こっている事件や事故など地域固有の事情を知る必要があるから、 調査を行うわけだ。「取引の現場を知らない人間に評価はできない」といった類の意見は、 「野菜を作ったことのない人間が料理をするな」といった暴論に近い。
そもそも「相場」という言葉を振りかざす人ほど、相場の意味をわかっていないことが多い。
不動産にはまったく同質のものが2つと存在しないので、 そもそも株式や債券のような「相場」という概念は成立しない。もし、 厳密に「相場」を論ずるなら、統計的手法(ヘドニックアプローチ)によって品質調整した上でなければ、 不動産同士の比較などできない。もちろんそこでは、取引当事者の抱える事情といったファクターも、 独立変数として採用して、価格モデルを構築しなければならない。 時系列を踏まえてそのようなヘドニックモデルを構築すれば、 振り子の振れすぎた異常値は、ノイズとして弾かれるから、長期均衡的な価格が導かれるはずだ (*1)。
そういったことをわかっていない素人が、好んで「地価公示は相場と乖離している」などと言いたがるのだ。
また今回のAERAでは、公示価格の決め方として、 「国交省の意見も聞きながら決定する仕組み」と書かれていたが、 これも繰り返し展開される「ウソ」の一種だ。
私自身、10年以上地価公示に携わっているが、 ただの一度も国交省のお役人から「ああしろ、こうしろ」と指示されたり、価格誘導などされたことはない (評価書上の形式的な誤りを指摘されて訂正したことはある)。 国交省の鑑定官が会議に出席されることはもちろんあるが、「地域の現状を教えて欲しい」 「適正な評価をお願いする」くらいしか発言されないし、価格に対して圧力をかけるなどということは、 ありえない。
そもそももしそんなことがあったとしても、私は証拠を揃えて反論し、 絶対に横暴には屈しない。もしそういう声を上げただけでお役人に目をつけられて排斥されるようなら、 そんな仕事は受託するに値しないし、そんな役所なら、非難されてしかるべきである。
上記で、地価公示批判を展開する典型的2タイプを書いたが、 実は最近、我々鑑定士自身が、実に無邪気に人を信用しすぎていること(つまり、度の過ぎたお人好しであるということ) に、批判記事を書かれる原因の一端があるのではないかと考えるようになった。
今回の記事のように、有名な雑誌からインタビューを受けたとき、 真面目に正論を述べれば、そのまま書いてもらえるものと信じてインタビューに応じている鑑定士が、 少なからずいると思うからである(*2)。
それは、えん罪の被告が、誠心誠意真実を述べれば無罪となるに違いないと、 無邪気に信じているのに似ている。だが、残念ながら、正義は正義というだけで救われるものではない。
批判者は批判したいから批判している。そこに関係者が意見を述べれば、 いいように使われるに決まっている。だから私は、学術論文や著書を出すといった場合以外は、 出版社や新聞社などには関わらないようにしている(ローカルのTVに出たことはあるが、 非常に誠実に取り扱ってくれた。大阪朝日放送さんには、感謝している)。
現在の地価公示制度の問題をあげるとすれば、 発表までのタイムラグであろう。
1月1日時点の価格が、3月下旬に発表されるので、 その約3ヶ月の間に市況が大きく変化しているときには(今年はその典型)、市場実感とかなりずれていると 言われてしまう。しかも、地価公示では昨年からの変動率(何%上がった、下がったという)が真っ先に取りざたされるので、 今の市況でこの変動率はおかしい、といった批判がすぐ出てくることになる。もちろん、 発表時点ではなく、1月1日時点の価格であるということが広く認識されていれば、 誤解も減るのであろうから、ちゃんとしたアナウンスも大事である。
地価公示の仕事を一種の利権のように批判する声もあるようだが、 その報酬が、労力や所要時間に見合わないものであることは、不動産鑑定士の共通認識であると思う。 ミスが重なれば受託できなくなるし、決して安易にやっているわけではない。
そもそも私が不動産鑑定士となることを志したのは、 このような社会的に影響のある仕事に携われることに、大きなやり甲斐を感じたからだ。 だからたいへん誇りに感じているし、自らの信じるところに従って、仕事をさせていただいている。
今後も同様の批判記事には、しかるべき反論をしてゆきたいと思っている。
*1:私はよく、取引事例を数百数千単位にして分析を行っているが、 変数に時間ダミーを投入してモデルをつくっても、 よほど長期のデータを対象としなければ、価格変動を有意に捉えることができないのが通例である。 言うは易く、行うは難しである。そういう点を捉えて、「統計などあてにならない」といった批判をする人があるが、 少数の現場取引を見たくらいで価格推移を論ずることのほうが、よほど幼稚だと思うのだが。
*2:インタビューにお答えになった鑑定士を批判するつもりはまったくないが、 少なくとも皆名前を明かした上で意見を述べるべきではないだろうか。
2009年4月7日